ひなぴし ドラマ考察

会いたくて、会いたくてふるえるシンドローム。トケルのブログ。

地震等の天災で直接被害がない人のやるべきこと。



Twitterでもつぶやいたのですが、自分の考えとして残しておこうと思います。
人それぞれ考え方はあるでしょうから、押し付けるつもりはありません。ただ、自分はそう思うということを書きたいと思います。

  • 地震等の天災で直接被害がない人のやるべきこと


まず被害のある・ないについてはここで規定するつもりはありません。本人が被害があると思えばあるのだと思います。あくまで「ない」と感じている人だけの話です。


▼勝手に行かない
「助けにいこうか」というのは誰しも一度ぐらいは考えそうなことです。人の手を借りたい状況だとは思います。しかし、思うのは、とりあえず行ったとして何ができるでしょうか。救助の専門家の足手まといになることはないですか?余計に危険な状況を作り出してしまうことは?自分が危険な目にあってさらに人の手を借りることにならないか?受け入れる体制がないのだとしたら、統制がとれた行動を取ることができず、実は良くないこと・無駄なことをしていても全くわかりません。「押し付けの善意」でしか無いような気がします。行くのであれば事前準備が非常に重要。自分が指示をするような立場の人間でないのなら、誰の指示で動けば良いのか、それは意味があることなのか明確にしてから行く必要があると思います。「とりあえず行く」は何の助けにもならない。事前準備がしっかりできない人はほかの方法で被災地を助ける方法を考えましょう。


▼勝手にモノを送らない
「こういうものがほしい」という話があって初めて成り立ちます。ほしいと言われていないモノを送るのはあたりまえですが何の助けにもなりません。押し付けです。また、モノを送る場合も受け入れ体制が非常に重要です。届いたとしてもそれが被災者の手元に届かなければ意味がありません。また、過剰に届いても困りますから、受け取る側でのコントロールも重要。受け入れ側との話がしっかりついて初めて意味がある差し入れになります。意味がない差し入れは、極端な言い方ですがゴミと同じです。最終的にはゴミになってしまいます。


直接的に支援をする場合は、とにかく受け入れ側との綿密なやりとりが必要。それができないならやめておいた方が良いと思います。


▼余計なことは言わない
憶測や聞いた話、噂を、言うべきでない。言ってはいけない。言っていいのは確実な真実のみ。Twitter等で個人が発信し情報を共有する時代。届いた情報が真実かどうか正確な判断ができない状態の人もたくさんいるはず。個人的な感情をつけて発信するのもどうかと思います。とくにネットでの発信は感情的になりがち。誰かの一方的な意見が真実と混同され、取り返しがつかないダメージを受けてしまう人がいるかもしれません。ネットの世界というのは広くいろんなところとつながっている。「つぶやき」とは言いますが、独り言ならネットで言っちゃいけないんですよね。人に聞いてもらうためにネットで言う。共有するため。発言には責任を持たなきゃいけないなと感じます。とくに直接被害がないと感じている人。善意からかもしれませんが、いろんな情報を提供しようとして逆に混乱させてしまっていることもあるのではないでしょうか。余計なこと、言う必要がないことは言わない。そうすることで、本当に伝えるべきことが目立ち伝わるようになると思います。


▼情報拡散しない
自分で発信していなくても、人からの発信を目にすることがあります。「必要な情報だ」と判断したらTwitterであればリツイートする等して拡散することがあるかもしれません。でも必要な情報を判断できる状態に自分はあるのか。被害がないと感じている人が本当に必要な情報、必要でない情報の取捨選択ができるのか。もしこの選択を誤れば、間違った情報を拡散してしまうことになります。「ツイート内容を他人が編集してリツイート・発信することは良くない」とよく言われますが、本来発信者が伝えたかった内容と違うようにとられる文章になってしまう可能性があります。重要な情報はやはり、伝えようとしている人が直接発信して届けるべきでしょう。拡散してよいのは事実のみ。事実かどうか判断できなことは単なる雑音となり、事実をもみ消してしまう可能性があります。ネットでつながって情報共有があらゆる手段でできるようになった反面、使い方によって誤った情報が広まる速度も格段に早くなってしまいました。そういう前提で、情報は受け取らなきゃいけないなと思います。


▼お金で協力する
中途半端な協力は「善意の押し付け」でしかない可能性があります。どこからが中途半端なのかというのは難しい話ですが、効果・意味がハッキリみえるものでなければそう考えるべきではないかと思います。人手を貸す、モノを送る、いろいろ方法はありますが、どれも受け入れ側の体制が整っていなければ意味を成しません。また、受け入れ側の準備が非常に大変です。その意味でお金であれば、受け入れ体制だけあれば、事前準備は大きく必要ではないはず。受け取ってから、本当に必要なところへ振り向けて使用することができると思います。お金を預ける先をどこにするのか。この判断は重要ですが、受け取る側が一番困らない形はやはりお金だと思います。現地にいるわけではありません。現地にいる人なら、人手・モノの提供の方が即時性があるでしょう。でも直接被害がない人が協力するのであれば、中途半端な協力は避けて、お金を提供する。そうすれば、被害状況が明らかになり徐々に普通の生活を取り戻しつつある段階になっても役に立つはずです。


▼応援•心配•哀悼の念抱きつつ日本を支えるため普通に働く。生活する。お金を使う。
情報収集、知ることは重要だと思います。たとえば今回の地震でも停電協力の話があったり、これはもう日本全体の問題としてとらえないといけないでしょう。われわれができることは何か。ぼくが一番思ったのは「日本という国を守ること」だと思います。被災地の救援、中心になるのは国です。ということは、この国が傾いたら救援はない。災害状況から脱却しても、仕事がない、お金を稼げないとなれば復興しない。日本を支えることが大事だと思います。日本を支えるには??できるだけ普通の生活を送ることではないでしょうか。普通に働く。生活をする。そして経済をまわしていく。これこそ災害の影響を直接受けていない人がやるべきことなのではないかと思います。どうしても縮小モードになってしまいがちですが、そうすることが何かの役に立つでしょうか(停電への協力等、直接的にできることは別です)。いま大変な目に遭っている方々を迎え入れるための準備をする。日本という国が安心して復興活動にあたれるよう、それ以外の人たちが日本を回していく。お金を使わなくなっていったら、日本がどんどん小さくなっていって、復興どころではない状態になってしまう可能性すらあります。モノを作る会社は作らなきゃいけないし、レストランや小売店は店を開ける。働きながら、消費者としてサービスを利用する、モノを買う。そうやって日本経済を盛り上げていかないと、復興はありえないと思います。


まずは寄付をすることから、ぼくも始めたいと思います。

自分にできることは何か。何をするべきか。
それぞれが考え行動する。

いつ自分が被災者になるかもしれない。その時、どう思うのか。

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