ひなぴし ドラマ考察

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銃で4発撃たれても生還した鈴木貫太郎さんがすごい、歴史秘話ヒストリア「二・二六事件」妻・たかが語った事件の内容

近現代史ってやっぱり知っておかないといけないなぁと

最近とくに感じるようになりました。

 

昔から日本史好きとはいえ

やっぱり派手な、武士が活躍した戦国時代〜江戸初期が好きで・・

近現代史にはなかなか興味は持てず。

 

でも、これからの日本を考える上で、同じ過ちを繰り返さないためにも

外国と戦争をしてしまった近現代史を知っておくことは

重要だなぁと感じるようになりました。

 

とはいうものの、なかなかまとまった時間を取る意欲が出ず

ふと目にしたもので少しずつ知識を補完していくような、そんな感じです。

 

まあ、一からしっかり勉強するのが理想なんですけど

そうもいかないので、テレビ等をみて興味を持ったところからでも

知ることができれば・・良いかなと。

 

今日は、先日録画しておいたNHK「歴史秘話ヒストリア」で取り上げられていた

鈴木貫太郎さんについて。

 

「歴史の重要性」というような話からは完全にそれた話になりますけど・・

まあそれでも、少しでも興味を持つことができるなら、ということで。

 

「もっと大事なことがあるだろう!?」というツッコミは無しでお願いしますm(__)m

それはわかってるんですけど、そんな高尚なことからやろうとしたら

そもそも学ぶ意欲自体がそがれてしまうので(笑)

 

もし・・間違えている点があれば、申し訳ありません。。

 

http://odajorighee.tumblr.com/post/125972056991/d0115409014344jpg-490-418から

 

二・二六事件で銃で撃たれてもしななかった

「二・二六事件」というのは・・ちょっと聞いたことあるぐらいの知識の人が

実は多いんじゃないでしょうか。

 

1936年(昭和11年)2月6日〜9日にかけて起こった

クーデーター未遂事件だそうです。

 

天皇親政を目指し陸軍青年将校1,500人が起こした軍事クーデーターで

政府の要人9人をさつがいした事件です。

天皇親政を標榜し日本改造を目指していたわけですが・・

これは天皇の想いとは全く違っており、結果として天皇の命令で鎮圧されてしまった

そういう事件。

 

この時に・・政治腐敗の原因の一つとなっているとみなされ

ころされることになった人の一人が、鈴木貫太郎さんです。

 

鈴木貫太郎とは

終戦時宰相 鈴木貫太郎―昭和天皇に信頼された海の武人の生涯

・もともと海軍出身

・聯合艦隊司令長官、海軍軍令部長を歴任

・40年に及ぶ軍人人生

・「軍人は政治に関与せざるべし」 

・61歳のとき、昭和天皇側近の侍従長へ推挙される

・侍従長は身の回りの世話だけでなく、天皇の相談相手になったり、公私ともに関わりが深い仕事

・二・二六事件当時は、侍従長を務めていて、すでに七年が経過していた

 

鈴木貫太郎が襲われた時の状況

 

鈴木さんの妻・たかさんがのちに語った内容がテープに残っていたそうです。

近所で交流のあった農家のウエハラさんの要望によって録音したものだそうです。

ちょっと書き起こしてみます。

 

十何人ぐらいいたんでしょうね。兵隊さんが入ってきて。

「閣下でありますか」って聞いてるんですよ。

「ああそうだ」って「私は鈴木だ」って。

「何事が起こってこんな騒ぎをしているのか」

「話したらいいじゃない」かって。

 

誰も返事をしないんですよね。

 

私のところは、兵隊が入ってくると2人で剣付き鉄砲でね。

座っているんですからね。

どうすることも動くこともできないけど

そのうちに軍曹がきてね

 

「 ヒマがありませんから、撃ちます。」

「じゃあうて」

パンパンパンパンと撃つと、そこに倒れてしまいましたからね。

眉間に1つあたって、1つは肩へあたって

1つは心臓の右の方へあたって

1つは横腹へあたって

眉間からも、胸の所からも

血がドロドロドロドロ出てくるんです

 

兵隊さんたちの方はね

「とどめ、とどめ」って大きな声で言ってたんですよ

私はこうやってみていると、まだ主人は息をしていますからね

別れでもね

一言生きている間に別れを言いたいと思って

「とどめだけはどうか待ってください」

安藤大尉がそれを聞いてね

「とどめは残酷だからよせ」

「みんな閣下に対して敬礼しろ」

パタパタと座ってね 敬礼していきましたがね

安藤さんが私のそばに来てね

「奥さんですか」っていうから「そうです」

「何事が起こってこんなことになりましたか」

って私聞いたんです

「閣下の考えていることと我々躍進日本を志している若いものとは意見の相違です」って。

 

 

その後、かけつけた医者が周囲に溜まる血で滑ってこけた

という話も残っているほどの惨状だったそうです。

一時は脈も絶えたとか。

 

そして、奇跡的に一命をとりとめたという・・

 

 

すごいですよね。

銃でこれだけ撃たれていながら、生還されたんです。

 

 

その後の鈴木貫太郎

昭和天皇から是非に、とお願いされ、

終戦直前に首相に就任したそうです。

 

77歳で耳が遠く、軍人出身の自分が政治に関わるべきでないとの理由で

断ったそうですが、天皇から頼まれ承諾することに。

昭和20年4月のことだそうです。

 

もはや日本の敗北は決定的・・

しかし、本土決戦を行うべきという意見もあり・・という状況で。

この戦争をどう終わらせるか、ということが問題になっていたそうです。

 

戦争を終結させたことにはいろんな人がいろんな役割を果たしたという研究があり

一概に誰がすごいとはいえないみたいですが、

この歴史秘話ヒストリアでは鈴木貫太郎が果たした大きな役割について語っていました。

 

ポツダム宣言を受け入れるか否か。

 

広島に原爆を投下され、この話を受け入れるか否か・・

そうしているうちに長崎にも原爆を落とされ・・

 

NHKでは言ってませんでしたが、

ここから、鈴木貫太郎への批判的な意見もあるようです。

(もっと早く決断していれば、長崎への原爆投下は避けられたのではと)

 

 

陸軍はポツダム宣言を受け入れるのに、日本から複数の条件を出すべき

という意見。

外務省を中心とした意見は「国体護持」のみを条件とするというもの。

 

最終的には昭和天皇の決断により、「国体護持」のみを条件として

ポツダム宣言を受諾することにした・・

 

というところへ、閣議を導いた

ここに鈴木貫太郎の功績はある、ということでした。

 

もともと明治憲法では、天皇に政治的判断の責任を負わせることはしない

というものだったそうですが、

(天皇は裁可をするだけで無答責、責任はない)

 

最終的に天皇の聖断を引き出した

これができたことが鈴木貫太郎の功績だということでした。

 

たしかにこれであれば・・陸軍も最終的には受け入れざるを得ないと。

 

 

 

ということで、

何がすごいって、

 

銃で4発も撃たれたのに生還

その後、日本を終戦に導く

 

まあ、功績や罪については各種意見があるとは思いますが・・

終戦に大事な役割を果たした人であることは間違いないと思います。

 

この人が導いたから、昭和天皇も行動できたのかもしれない。と。

昭和天皇も

「私と肝胆相照らした鈴木であったからこそ

このことが出来たのだと思っている」

と言っていたそうですし。

 

 

二・二六事件の時に、もしぜつめいしていたら・・

日本の終戦はもっとヒドイものになった可能性もあるんですね・・

 

銃で撃たれたのに生きていた

 

運が良い!すごいと思うと同時に、

生きなければいけない人だったんだなーという不思議なものを感じますね。

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