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ひなぴし

会いたくて、会いたくてふるえるシンドローム。

メレブは呪文を唱えた「あまぞんやすすぎるあまぞんやすすぎるあまぞんやすすぎるあまぞんやすすぎるあまぞんやすすぎるあまぞんやすすぎるいやまじで

徳川家康は豊臣秀頼を滅ぼそうと決めていたわけではない

日本史 歴史

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豊臣氏を大阪夏の陣で大坂城もろとも滅亡させて

江戸幕府を盤石のものにした徳川家康。

 

関ヶ原の合戦があり、その後に「大坂の陣」と

豊臣秀吉死後に着々と進めていったイメージがありますが・・

 

実は家康は最初から秀頼を亡き者にしようと思っていたかは疑問だ

という説があるのを知りました。

 

 

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よく考えてみたらそのとおりなんですが

 

関ヶ原の戦いが1600年(家康59歳)

江戸幕府を開いたのが1603年(家康62歳)

 

大坂冬の陣が1614年(家康73歳)

 

戦国時代から江戸時代初期ぐらいの有名な人だと、だいたい平均して60歳くらいまで生きている人が多いとか。

 

そうすると、関ヶ原の戦いの時点ですでに家康は寿命の年齢を迎えています。

健康には気をつけているとはいえ、いつしんでもおかしくはない。。

 

もし本当に

「豊臣だけは絶対に、俺が生きている間になんとかしないと」

とはじめから思っていたのであれば、きっともっと急いだだろう、という話。

 

73歳って、たぶんその当時の人からしたら

「いつしんでもおかしくない」レベルの人だと思うんですよ(笑)

まあ・・戦いに出られるほどなので健康ではあったんでしょうが。

 

 

ただ、そうはいってもやっぱりそこまで待つ必要があった、という人もいて。

まあこっちの方が主流派の考え方だと思うんですけど。

 

1605年に徳川秀忠へ将軍職を譲って、今後は将軍職を世襲していくと示し

またそこから1610年頃までの間に豊臣恩顧の有力大名たちが次々亡くなっているので

それを待っていたとか。

 

それももっともな感じはするんですけどね。

もし本当に待っていたとしたら、相当自分の健康・元気に自信があったということですよね(笑)

 

自分より若い武将や同い年ぐらいの大名がしんでいくのを待つわけですし。

 

 

秀頼が大阪を出て大和郡山(奈良県大和郡山市)への移封を家康は要求していたそうです。

そして淀君が家康の元へ人質として送られ・・

 

というのをもし豊臣秀頼が受け入れていれば、

そのまま大和郡山藩として江戸時代も存続して幕末まで残ったかもしれません。

 

そしたら、もしかしたら今も「豊臣家」「羽柴家」?が残っていて

子孫がそれなりの人だったら大阪市長ぐらいにはなっているのでは・・という話もありました(笑)

 

 

こういう家康の要求をみても、力は大幅に削いで、かつ難攻不落といわれた大坂城をぶっ壊しさえすれば、豊臣秀頼を生かしておくという選択肢はあったのかもしれないなと。

 

そういう可能性も考えての、関ヶ原からの14年だったのかなと。

 

 

ただ、、豊臣秀頼や淀君については

大坂の陣という最大級の戦いで名前が後世に残った人なので

もし家康に降っていたら、きっとたいした知名度ではなかったんでしょうね(^_^;)

有名な武将でも、その息子は、生きていてもあんまり有名じゃない人けっこういますしね。

 

織田信長の子、伊達政宗の子・・そんなに有名じゃないし(笑)

 

 

リアル・プリンセストヨトミ(笑)

いや、もし豊臣家が存続してたら、隠れる必要はないですもんね。

 

奈良へ移ったとしても、

大阪の人は「太閤さん」好きで、豊臣家を持ち上げたんじゃないでしょうか(笑)

※このブログのタイトルは、以前は「はてなで泣いた」でした。独自ドメインへ移行したためタイトルを変更しました※ @iPhoone3Gが語る自叙伝的なこと。 これはまだ俺が20代前半だった時のこと。仕事で疲労困憊な俺は、退社後の深夜2時頃、近くにある大きめの銭湯にやってきた。銭湯といってもいわゆるスーパー銭湯ではなく、普通の銭湯だけど大きい風呂屋。ヤクザ屋さんかな?という人もけっこうみかけるこの風呂屋は、銭湯料金だけど露天的な風呂があったり、サウナが広かったりしてけっこう気に入っていた。銭湯での行動はいつも決まっていて、まずは身体を温めるために内湯に浸かる。その後サウナに入って汗を出す。そして露天の風呂を楽しみ、洗髪・洗体をして出る。というのが自分のコースだ。その日も同じように内湯に浸かり、サウナへ・・とここまでは良かったが、疲労が極限まで達していたためか、普段は絶対にないのに、サウナで横になって寝てしまった。どれくらいだろう??15分くらいは経っていたか。気がつくと、タオルをはだけさせ、一糸まとわぬ姿で眠っていた。サウナには深夜にもかかわらず数人の客がいた。(続きは、また。思い立った時に。)
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