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ひなぴし

会いたくて、会いたくてふるえるシンドローム。

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大河ドラマ真田丸で抜け作と言われた片桐且元と茨木城主もなかの話

TV 日本史

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大河ドラマ・真田丸、毎週みています。

真田信繁が上杉景勝に付き添い豊臣秀吉の元へいってから

ちょこちょこと登場している武将

 

片桐且元

 

賤ヶ岳七本槍の1人です。

 

同じく、賤ヶ岳七本槍の1人である平野長泰からドラマ内で

「抜け作」と言われていたこの人がちょっと気になったので調べてみました。

 

片桐且元関連の書籍はこちら

片桐且元: 豊臣家の命運を背負った武将

片桐且元: 豊臣家の命運を背負った武将

 
片桐且元 (小学館文庫)

片桐且元 (小学館文庫)

 
片桐且元 (人物叢書)

片桐且元 (人物叢書)

 
戦国大戦 豊臣010 UC片桐且元

戦国大戦 豊臣010 UC片桐且元

 

 

 

大阪府茨木市のお土産に、昔

片桐もなか

という和菓子がありました。

 

ぼくはもなかの味の違いはわかりませんが(笑)

美味しいものだったようですよ。

片桐もなかは昔から知ってましたが、ぼくはこどもの頃に食べた記憶しかないので

こどもの舌ではもなかの味の良さは・・(笑)

 

 

なぜ茨木市のお土産として片桐もなかがあったかというと

片桐且元が茨木城主だった時代があったから、だと思います。

 

その前には茨木氏という人だったり、そこそこ有名な中川清秀が茨木城主だったりしたそうですが・・

片桐且元が最後の城主だったんですかね。

 

その後、茨木城は一国一城令で廃城になってしまったそうです。

(隣市である高槻市にあった高槻城が残されて)

 

 

その片桐もなかって今どうなっているんだろうと調べてみたら

なんと今はなくなってしまっているとか。

 

なぜなくなってしまったかというと

WEB上で調べたところによると、片桐最中を作っていた和菓子店に跡取りがおらず廃業したからだとか。

 

なんか・・さみしい話ですね。

 

 

・・といってたら、なんと(笑)

 

茨木城主もなか

 

よみがえる茨木城

よみがえる茨木城

 

 

というのが存在しているらしいという情報が(笑)

  

 

こちらも調べてみると・・

実は先の和菓子店で餡の製造に携わっていた職人さんが独立して作ったものだそうです。

 

こちらの「ちとせ」というお店で売っているようです。

i-chitose.com

 

ほほぅ・・

 

「ちとせのこだわり」ページをこの記事公開時点でみると

 

ちとせの「こだわり」ちとせの「こだわり」ちとせの「こだわり」ちとせの「こだわり」ちとせの「こだわり」

 

(笑)

 

えっと・・製作中に我慢できずに公開してしまったパターンでしょうか・・(^_^;)

誰か、茨木の新たな銘菓を、なんとかしてあげてくださいっっっ(^_^;)

 

 

片桐且元という人は

羽柴秀吉の元で賤ヶ岳七本槍になったということ以外には

あまり目立った功績がない人ではあるんですが

 

一応、秀吉死後も豊臣家のために尽くそうとし

家が存続するために頑張ったみたいですよ。

 

豊臣家の重臣でありながらある時期から徳川家康とも親交があったようで

その縁でなんとか秀頼・淀君の助命を・・と申し出ていたらしいです。

 

が、その行動が豊臣方からは「寝返ったやつ」ととらえられてしまったらしく。

最終的には豊臣家を去ることになり、家康の元へくだったとか。

 

まあこういう行動だと、後世には結局良い風には伝えられないですよね。

最後まで豊臣家に従った真田幸村!みたいなのを好みますしね、日本人は。

 

家康の元でも所領を与えられ、藩を開くわけですが

且元のあと4代ほど続いた片桐家は、最終的にお家断絶となってしまいました。

(一部の子孫は続いていますが)

 

 

あれ??

この断絶ってどこかでもみたような・・

 

そう、片桐もなかの結末となんかかぶるところがないですか??

跡取りがいなくて廃業・・

 

え?もしかして、片桐もなかさんはそれを狙ったのか・・??いやそんなことはないですよねきっと。

 

なんだか不思議な感じですね。

 

 

高槻城が残され、茨木城は廃城になる。

高齢化が進んでいると言われる茨木市がいずれ隣市である高槻市に併合されてしまう

という未来を暗示していなければいいんですが・・・

 

とちょっと思った話でした。

 

 

真田丸での片桐且元はどのように描かれるんですかね??

お人好しとして最後までいくのか

どっちつかずの優柔不断なやつとしていくのか・・

 

どちらかというと、後者のイメージで語られることが多いように思いますね。片桐且元は。

 

 

茨木では銘菓の名前になるぐらいですから

もしかしたら内政には力を発揮した人だったんでしょうか。。

 

豊臣家の重臣で、秀頼の後見役になっているぐらいですから

秀吉からのおぼえもめでたい人だったのかなとは思います。

ということは、少なくとも無能な人ではなかったのかなと。。

※このブログのタイトルは、以前は「はてなで泣いた」でした。独自ドメインへ移行したためタイトルを変更しました※ @iPhoone3Gが語る自叙伝的なこと。 これはまだ俺が20代前半だった時のこと。仕事で疲労困憊な俺は、退社後の深夜2時頃、近くにある大きめの銭湯にやってきた。銭湯といってもいわゆるスーパー銭湯ではなく、普通の銭湯だけど大きい風呂屋。ヤクザ屋さんかな?という人もけっこうみかけるこの風呂屋は、銭湯料金だけど露天的な風呂があったり、サウナが広かったりしてけっこう気に入っていた。銭湯での行動はいつも決まっていて、まずは身体を温めるために内湯に浸かる。その後サウナに入って汗を出す。そして露天の風呂を楽しみ、洗髪・洗体をして出る。というのが自分のコースだ。その日も同じように内湯に浸かり、サウナへ・・とここまでは良かったが、疲労が極限まで達していたためか、普段は絶対にないのに、サウナで横になって寝てしまった。どれくらいだろう??15分くらいは経っていたか。気がつくと、タオルをはだけさせ、一糸まとわぬ姿で眠っていた。サウナには深夜にもかかわらず数人の客がいた。(続きは、また。思い立った時に。)
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