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ひなぴし

会いたくて、会いたくてふるえるシンドローム。

メレブは呪文を唱えた「あまぞんやすすぎるあまぞんやすすぎるあまぞんやすすぎるあまぞんやすすぎるあまぞんやすすぎるあまぞんやすすぎるいやまじで

豊臣秀吉は劉備になれなかった

日本史 歴史

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三国志で有名な劉備玄徳。

死ぬ間際に、諸葛亮孔明へ伝えたことを知っていますか??
 
ざっくり言うと

 

 

もし俺の子が無能だったら、
俺の子に代わって君がこの国をおさめてほしい
 
そういう内容だったと思います。

 

 

実際、劉備の息子、劉禅は相当な無能だったらしく…
劉禅の幼名・阿斗は、その後、アホ、愚か者を指す言葉になってしまうぐらいなので。。

 

 

結局、諸葛亮孔明は劉禅にとってかわることはなかったわけですが…
 
やっぱり、代わってでもこの国をなんとか守ってほしい、という主君劉備の気持ちに心を打たれたからだと思います。(まあ、諸葛亮孔明は天下を取る!というキャラではないのかもしれませんが)

 

 

日本の有名人でなんとなく劉備に近いかもな、と言える人がいるとしたら、
豊臣秀吉ですかね。
 
名もなき一兵卒から身を起こし、
人を惹きつける魅力を持って出世していく。
 
全く同じではないですが、近いものがあるのかなと。

 

 

ただその秀吉が劉備と最も違う部分で、最大の過ちを犯してしまったのが、死ぬ間際。

 

 

居並ぶ大名たちを前に
「くれぐれも、くれぐれも秀頼を頼む」
と言い残したそうな。
 
徳川家康とか前田利家なんかの五大老や石田三成なんかの五奉行たち。
 

 

徹底図解 豊臣秀吉―日本で一番出世した男の常識を破壊したその生き様

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この結果のちにどうなったかといえばご存知のとおり。
 
最終的には、徳川家康が豊臣家を滅亡へ追い込み、天下を取った、と。
 
 
こういう風になってしまう、ということは秀吉の頭の中にはなかったんですかね…??
 
いや、元気な時の秀吉ならここまで考えが及んで…とできたかもしれませんが。。
 
晩年の秀吉は無理な朝鮮出兵を行ったりと、あまり現実的でない行動が目につく気がしますし。
 
最後にはやっぱり判断能力が鈍っていたんですかね。
 
 
この国を平和に保つ!
 
なんてたいそうなことを考えていなくても、自分が一代で築いた豊臣家をこのあとも存続させるにはどうすれば…
 
秀頼はまだ小さい…
 
 
というところから考えれば、本来は自ずと答えがみえてきたと思うんですが。。
 
秀吉がいくら農民の出だからといっても
こんな幼い秀頼が求心力をもって居並ぶ大大名たちを指揮できるとは…過去の歴史からも無理とわかりそうなものですし。
 
豊臣家の存続と、
豊臣家がトップで居続けることは違います。
 
最期の最後で秀吉は、
豊臣家がトップで居続けることにこだわってしまったんですね…。
 
 
よく考えたら、家康の方がさらに歳を取ってから天下を取ってますから、
秀吉同様に体制が整わないままに自分が逝ってしまうということもありえたわけですが…
 
まあ、家康が頑張って、早急に体制作りに務めたということ(天下を取る前から準備してたのかもしれませんが。もしくは徳川家の体制がもともと洗練されたものだったか)
 
 
もうひとつそうかーと思ったのは、跡継ぎの年齢ですよね。
秀忠は秀頼ほど若くはなかったわけですから。
 
徳川秀忠はそんなに功績があった人ではないと言われてますけど、家康のあとをついで創業社長のあとで徳川江戸幕府を存続させることができたというのは、やはりそれなりの人物だったのだろうと思います。
 
 
では、豊臣秀吉は何と言い残してこの世を去れば良かったんでしょう??
 
 
家康殿、秀頼はまだ若い。全てはあなたに任せる。あなたが私に成り代わり、天下をおさめてくれ。

 

 

もし、秀吉が劉備と同じように、
 
いや、劉備のように、おまえが代わってくれ!とまで言わないまでも、あなたがこれからあとのことは中心となってやってくれ
と言っていれば。

 

 

…たぶん、その言葉どおり、
やっぱり家康が実権を握り、結局は徳川幕府が開かれ将軍になったかもしれません。
 
が、しかし、
その時に、豊臣家はきっと残っているでしょう。
何らかの術中策謀により仮に、あの堅固な大阪城から追い出されることになろうとも。
 
家康が権力を得たのは秀吉のお墨付きがあったから、とみんなが思っている中、
討ち果たすことはできないと思われます。
 
きっと、大和の国あたりに、
加賀百万石以上ぐらいの石高をもらって存続できていたのではないかと。

 

秀頼の方も、父親がよろしく頼むと言った相手に真っ向から反抗することはないと思います。
反抗しなければ、お家断絶へ追い込まれる理由がない。
 
…ということで、
もし秀吉が劉備になることができていたら、
豊臣家は違う運命をたどることができたんじゃないかという話でした。
 
 
ただ、劉備の死後、蜀の国は結局、
魏に滅ぼされてしまうんですけどね。。
 
結局、諸葛亮がいなくなったらもはや、
蜀を支えられるだけの人材がいなくなってしまい。。
 
劉備・蜀の方の間違いがあるとしたら、
諸葛亮が本当に、劉禅を押し退けて自分が皇帝にならなかったことですかね…
 
 
でも、劉備の子の劉禅は、生き延びたんですよねえ…魏でも、そのあとの王朝、晋でも。
 
たぶん、たいして害のない、反抗心がなく、恐れられるような人でもなかったからなんでしょうね、生かしてもらえたのは。
 
そう考えると、
 
豊臣秀頼、という人は、
徳川家康から相当警戒された、有能な人だったのかなーという気がしますね。
 
※このブログのタイトルは、以前は「はてなで泣いた」でした。独自ドメインへ移行したためタイトルを変更しました※ @iPhoone3Gが語る自叙伝的なこと。 これはまだ俺が20代前半だった時のこと。仕事で疲労困憊な俺は、退社後の深夜2時頃、近くにある大きめの銭湯にやってきた。銭湯といってもいわゆるスーパー銭湯ではなく、普通の銭湯だけど大きい風呂屋。ヤクザ屋さんかな?という人もけっこうみかけるこの風呂屋は、銭湯料金だけど露天的な風呂があったり、サウナが広かったりしてけっこう気に入っていた。銭湯での行動はいつも決まっていて、まずは身体を温めるために内湯に浸かる。その後サウナに入って汗を出す。そして露天の風呂を楽しみ、洗髪・洗体をして出る。というのが自分のコースだ。その日も同じように内湯に浸かり、サウナへ・・とここまでは良かったが、疲労が極限まで達していたためか、普段は絶対にないのに、サウナで横になって寝てしまった。どれくらいだろう??15分くらいは経っていたか。気がつくと、タオルをはだけさせ、一糸まとわぬ姿で眠っていた。サウナには深夜にもかかわらず数人の客がいた。(続きは、また。思い立った時に。)
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