ひなぴし ドラマ考察

会いたくて、会いたくてふるえるシンドローム。トケルのブログ。

BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査 #60 真田丸総決算 大坂の陣はいかにして起きたのか」書き起こしまとめ

テレビ番組内容のまとめ書き起こしです。

とくに気になった点を取り上げます。

 

他ではみたことがない話や

ぼくが初めてみた聞いたものを取り上げます。

 

 

毎週木曜日 21:00〜22:00

BS日テレ

 

歴史の定説は決して真実とは限らない

歴史上の様々な事件・事象を最新の研究、

徹底した資料の発掘、科学的なアプローチで検証。

合理的に推理し事件の核心に迫る・・・

 

#60 真田丸総決算 第二弾 家康VS秀頼

ケース60 大坂の陣はいかにして起きたのか?

家康vs秀頼の真相に迫る!

 

 

 

片岡愛之助が贈る 歴史上の英雄! 今日の名言 2016年 カレンダー 卓上

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家康は征夷大将軍になったことで豊臣恩顧の大名も味方につけた

将軍という地位は特殊性があった

それにより豊臣恩顧の大名たちも家康に従うようになった

 

将軍というのは、はるか昔から個々の主従関係とは別に

武士全体に対する統率権を持つ地位

 

天皇の命で組織される地方遠征軍のリーダー

 

武将と将軍との間に主従関係はなく有事の際に指揮を執ることが将軍の任務

 

つまり、将軍である徳川家や徳川家康に従ったとしても

豊臣家との主従関係に反するものではない

 

また、将軍に従わないことは天皇に従わないことになるため

豊臣恩顧の大名だとしても従わないことはありえない

 

 

関ヶ原の戦いというのは、豊臣家の主導権争いの形で行われたもので

家康は関ヶ原に勝ったからといって天下を手中におさめたわけではない

実際、関ヶ原の戦い後に、家康は豊臣秀頼に戦勝報告を行っている

 

家康も関ヶ原の戦いは、豊臣家の家臣として戦っていた

 

そのため、関が原が終わったとしても、すぐに家康が天下人になったわけではなかった

 

このような状態の中、征夷大将軍になることによって、その特殊な力によって

豊臣恩顧の大名までも動かすことができる、力を得た

 

 

 

たしかに、関が原が終わっても豊臣家はとくに影響なく残っているのに、なぜ家康の言うことを各地の大名がきくようになったのか?という部分は疑問ではありました。

 

とくに秀吉恩顧の大名たちなんて、簡単に心変わりしたの??と思わざるをえないような(笑)

 

よく考えてみると、豊臣家が武士の頭であるというお墨付きはどこにもなかったんですよね。

豊臣秀吉にしても、「関白」「太閤」だったわけで、貴族の頭のような立場だったわけで。

 

秀頼は右大臣で、貴族の頭でもない。

 

秀吉は本当は征夷大将軍になることも考えたが、家柄的に不可能だった、みたいな話もみたことがあります。

 

家康もわざわざ、源氏の子孫と言って、将軍に任じられてますし。(捏造らしいですけど)

 

武士の頭になれないなら、と、関白になった秀吉。

 

でも子はまだ小さく、関白でもない。

 

朝廷工作をしっかり行っていた家康が征夷大将軍に任じられても不思議ではないですよね。

「武士の頭」は空位だったわけですから。

 

豊臣家も徳川家も、動かすことができるのは武士だったので

結果的に武士の頭となった徳川家康が徐々に豊臣家から実権を奪っていったと。。

 

まあ秀吉が関白や太閤という貴族側の地位にいても武士たちが従ってたのは、秀吉自身が武士として生きてきて、武力で全国を制圧した、というのが大きかったかなと。

秀頼は、秀吉の息子、という以外には何もないですしね。

 

秀吉は平清盛みたいになりたかったのかなという気もしますが、結局清盛の政権も続かず…源氏にやられてしまうという。。

なんか、豊臣・徳川と重なるような気がしますね(笑)

 

 

首都機能を持った駿府城

駿府城は徳川家康の隠居の城としてではなく、首都としての機能を持った城だった

 

秀忠に将軍職をゆずったのが慶長11年(1606年)

慶長12年(1607年)天下普請による駿府城築城

城郭史上最大といわれる天守台を持つ

(江戸城よりも大きい)

 

五層七階の天守

隠居の城としては巨大すぎる

 

家康時代の駿府のデータ

   駿府   江戸

人口 12万人 15万人 ※江戸と変わらない人口

武士 45%  38%  ※武士の割合は江戸より高かった

 

大手門前には大名屋敷もあった

(政治の中心だったと考えられる)

 

外交の舞台でもある

大御所時代に家康は

スペイン、オランダ、イギリス、明(中国)

等と積極的に通商交渉を行った

外貨獲得を目的として幕府主導で貿易を行う

 

流通拠点へと育てることも

流通拠点であった大坂、大坂商人たちは豊臣家の庇護を受けていた

この力を奪う目的もあり、駿府をあらたな流通経済の拠点に育てようと考えていた

 

川が多く海に面する駿府なら流通拠点に成りうる都市であると考えた

 

 

「首都」とまで言えるかはわかりませんが、

要は、大御所である家康が大きな力をずっと持ち続けていて、秀忠のいる江戸に負けず劣らずの街を作ろうとした

ということかなと思います。

 

ただ、家康後のことまで考えていたかどうかは…

 

もしかして、将軍は代々退位したら大御所となり、

駿府へ移る、みたいなことを考えていた可能性もありそうですけど…

 

でもそれやったら、ずっと「二重政権」が続くことになり

徳川政権が盤石なものにはならないことになるので。

 

考えにくいですよね。

 

あくまで今、自分が生きている間、

徳川政権を盤石にするために大御所として力を振るうために造営した街、という感じかなと。

 

やっぱり、秀忠のことはあんまり信用してなかったのかもですね(笑)

秀忠自体は決して能力が低い人ではなかったのではないかというのが最近の見方らしいですけど。

 

とくに対豊臣を考えた時の、武力行使力が低い、と家康はみていたのかもしれません。

 

とすると、駿府はやはり、

対豊臣を考えた街だったのかもなと。。

 

徳川vs豊臣の材木戦争

駿府では主に材木が流通していた

 

幕府は天下普請で次々と築城、城下町も整備する

すると大量の材木が必要

 

大坂方も大量の材木を集めていた(社寺造営のため)

 

徳川と豊臣で「材木」を奪いあう「材木戦争」が起こっていた

 

豊臣家は信心深かった淀殿の意向で社寺造営が進められたと言われる

これが豊臣家にお金を使わせ弱体化につながったという話もあるが

実はメリットもあった

 

1.豊臣家威光のアピール

東寺、法華寺、住吉大社、北野天満宮など現在国宝に指定されるなど有名なものが多い

当時も人々を魅了してきた

造営された社寺には「秀頼公」の文字が

訪れる人は、豊臣家の威光が健在であると感じる

 

2.家康の天下普請を妨害

徳川の天下普請の時期と豊臣家の社寺造営は重なる

すると材木が不足する

結果、材木の争奪戦争が勃発

この時代、日本の森林には変化が発生

伐採が進み、この頃は森が荒廃しきっており、里山は禿山になっていたと推測される

ほとんど木がなかった状況がわかるその当時の絵がいくつもある

徳川方の文書に「材木戦争」が起こっていることが書かれている

 

徳川の材木調達 代官・奉行の役人

豊臣の材木調達 民間の材木商人 公共事業の民間委託の形で、合理的!

 

 

この時代、気が使われすぎて

そこらじゅうがハゲ山だった、というのがけっこう驚きでした。

 

材木争奪戦では豊臣家が一枚上手だったのでは、と言われてますが、

これも「商人の街・大坂」を作った秀吉の遺産だったんですね。

 

そりゃそうだ、関が原後の豊臣家には

ほとんどまともな人材がいなかったでしょうから。

 

方広寺鐘銘事件は家康のイチャモンではなく本当に呪っていた

方広寺の鐘に刻まれた「国家安康 君臣豊楽」

大坂との海戦理由を探していた家康が

方広寺の鐘で、家と康の字を離して書くとは呪詛である、と

イチャモンをつけた、と言われているが

実は、豊臣家には本当に呪う意図があったのではないかという説あり

 

家康はなんとしても大坂から秀頼を退去させるべしと考えた

 

自分が死んだあとを想像した場合、問題になるのが

旧族系大名と呼ばれる者たち(上杉、毛利、島津、佐竹など)

関ヶ原で西軍につき、徳川から領地を奪われた者たちで

家康がしねば領地奪還のチャンスととらえられる可能性がある

 

そのため、火種となる豊臣家の力を削いでおく必要があった

 

 

「君臣豊楽」には豊臣の文字はあるが

秀頼や秀吉という実名は入っていない

実名は当時、「諱」(いみな)と書き、「忌む名」と書き、実名はタブー

たとえば大河ドラマ「真田丸」において「真田安房守」というのも、「真田昌幸」と言うのは失礼なためやってはいけないから「安房守」と呼ばれる

 

「国家安康」には家康の諱が入っているが、「君臣豊楽」には入っていない

「秀吉」はとても縁起が良い字であるにもかかわらず使われていない

 

これは「呪詛(じゅそ)」と言われてもしかたのないものである

 

しかし、鐘の問題だけで開戦まで持ち込むことはできない

家康は豊臣家臣で徳川との折衝役であった片桐且元を罠にはめ

大坂城から退去せざるを得ない状況に追い込んだ

この時代、たとえ自分の家臣であっても「折衝役」を勝手に処分することは

相手への宣戦布告ととらえられてもしかたがない

 

片桐且元が罠にはめられた経緯

 

方広寺の件で家康の怒りを解き、事態をおさめようと片桐且元は駿府へ赴く

しかし1ヶ月間、家康は会おうともしなかった(相当な怒りであると思わせる)

その間、待ちきれなくなった淀殿が側近の大蔵卿局を駿府へ

家康は即座に会い、歓待

大坂へ帰った大蔵卿局は何の問題もないと淀殿・秀頼へ報告

その後、且元が帰還し、家康が激怒していると報告

怒りをとくには「秀頼は大和あたりへ移る」「秀頼の江戸への参勤と居住」もしくは「淀殿を人質として江戸に送る」のいずれかを選択すべしと且元が示した

(これは且元が考えたものであるとも言われる)

大坂方は且元が寝返っているのではと疑い始めた

その後、且元を亡き者にしようとする動きがあり、身の危険を感じた且元は大坂城を退去した

 

 

そのため、それをきっかけとして、大坂の陣は始まってしまった

 

 

 

 2016年の大河ドラマ真田丸においても

この説が取り入れられていたように感じました。

 

鐘の銘文を考えるように依頼を受けた人が

何度か内容に家康からケチをつけられた結果

呪詛まがいの銘文を考えた

的な内容になってましたしね。

 

片桐且元の件も、ほぼそのままの内容になってました。

 

たしかに鐘の文言がおかしいレベルで戦を仕掛けるのはおかしいので(笑)

取次役がいなくなったことによる宣戦布告があった、それを受けての大坂征伐だった、というのは納得できます。

 

豊臣側は材木争奪戦のように、ある意味徳川へのちょっとした嫌がらせのつもりでやった方広寺の鐘の文言が

そこから派生した問題でまさか戦になるとまでは思ってなかったんでしょうね。

片桐且元の件が、本当によく考えられた作戦だなと思います。

取次役を解任したらそういうことになる、ということをしっかり知らなかった、もしくはそういうことを進言するような人材がいなかったのかなと。。

いるとしたら片桐且元だったんでしょうが、且元は当人なので、もしかしたらこの時そういう風に進言したかもしれませんけど、単なる言い逃れと思われてしまったのかもしれません。

 

 

 

豊臣秀頼についても、

これまで思われてきたような、単なる淀殿の操り人形ではなく、ある程度狡猾に動ける人だったのでは

という話はわかるきもしますが、

 

結局は家康の方が何枚も上手だった。

そういうことになりますね。。

 

ただそうはいっても、秀頼に力も才もある

と思った家康が、自分が死ぬ前に豊臣家をなんとかしなければ

と思ったことは間違いないなと。

 

家康にそう思わせた秀頼も、

やっぱりタダモノではなかったのだろうなと思いますね。

 

 

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