ひなぴし ドラマ考察

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常に撤退戦を想定しておけ 島津の退き口 #子に教えたい100のこと

 ネガティブ思考でいろ、というわけではないが

世の中のあらゆることは、いつ何時、何が起こるかわからない。

 

人生には、上り坂、下り坂、そして、まさか

がある

 

という話もあるし。

 

世の中の急激な変化や

予想外の裏切りなど、

 

自分の得られた情報の範囲では想像できなかったような事態が発生することが無いとは言い切れない。

 

今目の前にある、ほぼ勝てそうな案件が

実はその「まさか」かもしれない。

 

そういう気持ちを必ず、心の片隅にでもおいて

「まさか」が起こった時にはどうするのか

ということを考えておくべきである。

 

成功のための方法を考え尽くして、準備した上で、

最後の最後で良いので、撤退戦を想定しておこう。

 

 

「失敗しない人」とはどういう人なのか。

 

実はおそらく失敗しない人なんていない。

 

 

ただ、失敗した時にどのように行動するのかによって

その失敗の度合いが変わるし、

もし失敗を低減できれば、それは他の人からみたらもはや失敗ではないかもしれない。

 

失敗しない人、というのは

万が一失敗した時のことまで想定して手を打っておける人

のことであると思う。

 

 

例えば、いったいどういう失敗が考えられるのか。

その時、どういう風に切り抜けられるのか。

逃げ道はどこか。

一番良い(損害が少ない)方法は何なのか。

予想外のことが起こった時の撤退方法は?

 

勝てる見込みが9割9分でも

残りの1分の可能性を考えておくこと。

 

10割勝てる、なんていう話はほぼあり得ないのだから。

 

 

また、そうしておくことで、

いざという時に、最善の選択をする判断を間違えないのだろうと思う。

 

 

 

島津の退き口

 

撤退戦と言って歴史上有名なのは

「島津の退き口」(しまづ の のきぐち)として知られる、関ヶ原の戦いでの島津義弘の撤退方法だ。

 

 関ヶ原の戦いで敗者となった西軍側にいた島津家は

撤退するにあたり、なんと大挙する敵軍の正面突破というありえないような作戦に出た。

 

普通なら「撤退」「退却」というと、

敵に背を向け、反対方向へ一目散へ逃げる。

 

しかし、島津家はこのときそれをせずに、敵の方へ向かって進んでいった。

それも「全滅」覚悟の突撃ではなく、「撤退」目的で。

 

そのときの島津家の兵数は約300名

東軍は全て合わせれば8万人はいたと思われるので

正面突破は無謀に思える。

 

だが、この作戦で島津家の大将である島津義弘以下80名は

なんとか薩摩まで帰ることができた。

 

犠牲はもちろん出ているが、大将を無事に帰らせることこそが

一番の目的であったと考えると、無茶な方法でありながら目的は達成できていることになる。

 

 

まあこの場合、最初から「正面突破」を想定していたわけではなく

「うしろをみせて逃げて追撃される」よりも「意表を突く正面突破で度肝を抜いてその間に逃げ切る」の方が可能性が高いと考えた、その非常時のとっさの判断力が評価されるべきかと思われるが

 

 おそらく「そういう事態」も想定はしていたのではないかとかんがえられる。

つまり、もし退却することになった場合はどうするか

はもともと念頭にあったから、この判断ができたのではないか?と思うのだ。

 

また「捨て奸(すてがまり)」と呼ばれる特殊な作戦も

この撤退戦では行われている。

 

「すてがまり」とは、

火縄銃と槍で武装した兵士の一定数が逃げる本隊のうしろにとどまり、相手の方を向いてあぐらをかき座り込む。敵が追撃してきたら銃で敵将を狙撃し、そのあと槍に持ち替え突撃し死ぬまで戦うという作戦。

本隊を逃がすための時間稼ぎをする役割。

すてがまりの担当となった者はほぼ確実にしぬ。

なお、「すてがまり」は一定数ずつ、順次置かれる。

 

 

このすてがまりは、すてがまりとなる者がその役割と動きを理解していなければ

おそらく成り立たないと思われる。

普段からいざというときは「すてがまり」をやるのだ、ということが島津軍では想定されていたということではないだろうか。

 

 

現代に置き換えて考えると、「すてがまり」のように人の命を犠牲にして目的を果たすということはありえないが、

このときの島津家のことだけでいうと「大将を国へ帰す」ということが最大の目的であり、

 

・普段から撤退戦を考えて準備していたこと

・非常時の判断力

 

これらがあったからこそ成し遂げられたものであり、現代でも参考にすべき部分があるのでは?と感じる。

 

 

ちなみに、正面突破という前代未聞の方法を取り

(実際には徳川本隊の横をすりぬけて伊勢街道へ抜けた)

「島津は勇敢に戦った」という印象を強く、徳川家や東軍諸将に印象づけた島津家は

その甲斐あってか、その後の徳川家による処分で

西軍に属した家の中では唯一の本領安堵になっている

(そうなるまでには徳川家とあらためて戦になりかかったり、何度も交渉を重ねているが)

 

その徳川家との交渉は、島津の退き口でのすてがまり作戦で傷を負わせた井伊直政らが徳川方の交渉役だったが(井伊直政はのちにその傷が元で病死したと言われている)

そこにはやはり、「戦い方があっぱれであった」という思いが徳川方・井伊直政にはあったのではないかと推測される

 

 

ただ「大将を逃げさせる」というだけでなく

その後のことにまで影響する撤退戦を繰り広げた島津家は

只者ではない。

 

 

そして、江戸時代にも「薩摩藩」として存続した島津家から

幕末に西郷隆盛や大久保利通といった人たちが出てきて

最終的に江戸幕府を終わらせるという・・

 

もし関ヶ原後に島津家がなくなっていたら、西郷も大久保もいなかったかもしれない

と思うと、これまたすごい。

ここで大将を守りきり、お家の存続まで成し遂げたからこそ、数百年後ではあるが、関ヶ原で苦渋を舐めさせられた徳川を倒すことができたのである。

 

(関ヶ原の恨み、「いつか徳川家を倒す」というのが島津家には幕末までずっとあったのでは)

 

 

失敗してもそこをうまく乗り切れば、

チャンスはまたやってくるかもしれない。

 

 

退き口は確保しておく

撤退戦は常に想定しておく

 

これはどんな場面においても重要なこと。

 

 

うまくいっている時は忘れがちだが、

いつも意識するように。

 

 

そして島津家のように「常識にとらわれない」

「目的達成のための最善の方法を考える」を大事にしよう。

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