ひなぴし

会いたくて、会いたくてふるえるシンドローム。

今川氏真の人生 #おんな城主直虎

大河ドラマ「おんな城主直虎」では

 

駿河遠江を支配した東海道の弓取りと呼ばれた偉大な父

今川義元(春風亭昇太)の息子として

桶狭間の戦い後に今川家の当主となった人だが

ちょっと頼りない人として描かれている今川氏真(尾上松也)。

 

今川家がこのあとどうなるのかは・・なんとなく知っている人が多いのではないでしょうか。

 

義元が織田信長(市川海老蔵)に桶狭間で討たれたあと

今川家はどんどん崩壊に向かっていき

最終的に、駿河は武田信玄(配役未定?)に、遠江は徳川家康(阿部サダヲ)に取られてしまい、今川家は滅亡・・

 

という感じです。

 

が、しかし、その時に今川家の当主だった今川氏真がどうなったのか?については詳しく知らない人が多い。

 

実は武田と徳川に追い詰められて自害して果てたとか、討ち死にした、とか

そういう死に方はしてないんですよ。

http://odajorighee.tumblr.com/post/159283477081/今川氏真-登場人物-nhk大河ドラマおんな城主-直虎から

 

今川氏真が死んだのは

1615年12月28日 江戸で死去 享年77歳

 

え〜〜っと・・1615年というと

大坂夏の陣があった年です(笑)

 

徳川家康が豊臣秀頼を大坂城で攻めて、落城させた年。

実はそんな年まで今川氏真は生きていたんですよ!

しかも死んだのが、江戸という(笑)

 

今川家が滅亡・・駿河遠江から退去したのが1568年

 

それから・・

武田氏が滅び、信長の天下統一が進むも本能寺で明智光秀に討たれる。

その後豊臣秀吉が天下を統一し秀頼を残して死ぬが、家康が関ヶ原の戦いで勝利し

最終的に大坂の陣で豊臣家は滅亡、徳川幕府体制が確固たるものとなる

 

という世の中の流れを全部見届けて、それから死んだということなんですね(^o^;

 

これ自体、知らない人が多いんじゃないでしょうか。

 

今川氏真は今川家滅亡後にどうやって生き延びたのか?

「今川家滅亡」と書きましたが、これは駿河遠江から追放されたという意味で

今川家自体は氏真が生きている以上、滅亡はしていません(笑)

それどころか、実は、江戸時代は徳川家の家臣「高家旗本」として存続していたんです。

ある意味ではすごいですよね。

戦国大名ってたいてい、合戦に負けて滅ぼされたら

その一族郎党皆殺しにされて断絶するという場合が多いと思いますし。

 

なので、今川氏真はうまくこの戦国の世を生き抜いたわけなんです。

 

ではどうやって生き延びたのか・・?

 

 

1560年に桶狭間の戦いで父・今川義元が死亡。

その後、徳川家康に離反され三河を手放すことになるも、なんとか8年間は領国を守っていました。

 

しかし、1568年に武田信玄が駿河に侵攻してきます。

武田信玄の子、武田義信には今川氏真の妹が嫁いでいたんですが、この武田義信は父・信玄への謀反の疑いがかけられ幽閉→死去していました。

そこから武田との同盟関係は悪化していました。

さらに武田信玄は徳川家康と結ぶことで北と西から今川の領国を切り取り始めたという。

このときに、東にいた北条氏は今川氏に味方をしてくれました。

 

最後には居城のあった駿府のある駿河から遠江に追い立てられ

最終的に、徳川家康に追い詰められて降伏、こうして今川家は戦国大名としての名前は消えました。

 

そこから氏真は北条氏を頼ります。

氏真の妻は、北条氏康の娘である早川殿であったことが大きいと思います。

 

氏真は北条氏の本拠、小田原に屋敷を与えられていたそうです。

もし駿河の支配権を再度獲得した場合には、北条氏政の子、のちの氏直に駿河を譲ると約束していたそうですが、それが果たされることはありませんでした。

 

北条氏康が亡くなって氏政の代になると北条と武田は和睦したため

今川氏真は徳川家康を頼ったそうです。

家康にとっては、駿河を自分のものにしようと考えたときに

旧国主だった氏真を庇護することは大義名分を得るのに都合が良かったのではと言われています。

 

その後、京都にいって、父の敵である織田信長の前で蹴鞠(けまり)を披露したり

という謎(笑)行動もあるんですが(信長が望んだとか)

 

織田・徳川連合軍と武田氏が戦った長篠の戦いでは織田・徳川軍に協力

 

そのあとも紆余曲折ありつつも、

浜松→京都と移り住む

 

京都にいたころには、豊臣秀吉(もしくは家康)から与えられた領地からの収入で生活していたとか。

 

家康はいいとしても、秀吉からもらっていたとしたら

どんだけうまいこと取り入る才能があったんだという(笑)

 

その後、江戸に屋敷を与えられて、

江戸で最期、亡くなったそうです。

 

 

家が滅びる=一族全員死亡

みたいな時代に、生き延びて、しかもその後に子孫を残したというのは

ある意味ではすごい人かもしれません。

 

戦国時代から豊臣時代までは残った大名でも

徳川時代に改易されてなくなった家なんかもいっぱいありますからね。

 

今川家はもともと公家との関係も深かったので

そっち関係で徳川家に重宝されたようで。

 

吉良家と並ぶ高家旗本筆頭として今川家は存続します。

そして明治維新まで続くという・・・

 

明治維新時に当主だった人が子に先立たれた

ということがあったそうで、ここで今川氏は断絶したそうです。

 

 

和歌や連歌といった文化的なことに才能はあったそうです。

まあすべての歌が良かったわけではないそうですけどね。

 

他にも実は剣術に優れていたのでは?

という話もありますし

 

信長の前で披露するほどですから、蹴鞠もうまかったのでしょう。

 

 

「大名」として領土を守る、広げる力はなかったにしても

これだけの時代の濁流の中で人に頼って生き延びられたというのは

 

人に気に入ってもらえる才能があったことは間違いないんじゃないでしょうか。

 

 

東京の杉並区には、今も「今川」という地名があるそうです。

これは高家旗本となった今川家にちなんだ地名なんだとか。

 

静岡のイメージが強い戦国大名家の今川家ですが・・

東京にその足跡があるというのは想像してませんでした。

今川 (杉並区) - Wikipedia

 

東京の今川にある、観泉寺に、今川氏真とその妻早川殿の墓はあるそうです。

関連記事
スポンサーリンク

ひなぴし 顔だけ黄色い人 テーマパークのブログ 鉄道のブログ 日本史のブログ
このブログへメール 削除依頼について