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#吉高由里子 #NHK #大河ドラマ #光る君へ
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こんにちは。#トケル と言います。
歴史の専門家ではないので、「ドラマ」としての感想や今後の予想をお話ししたいです◎
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光る君へ
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NHK 2024大河ドラマ 日曜20:00
「光る君へ」(紫式部)
出演者・キャスト一覧
まひろ(紫式部)吉高 由里子
藤原 道長 柄本 佑
源 倫子 黒木 華
藤原 道隆 井浦 新
藤原 詮子 吉田 羊
藤原 定子 高畑 充希
藤原 公任 町田 啓太
藤原 道兼 玉置 玲央
高階 貴子 板谷 由夏
ききょう(清少納言) ファーストサマーウイカ
藤原 惟規 高杉 真宙
藤原 実資 秋山 竜次
藤原 伊周 三浦 翔平
藤原 行成 渡辺 大知
花山天皇 本郷 奏多
安倍 晴明 ユースケ・サンタマリア
藤原 宣孝 佐々木 蔵之介
藤原 為時 岸谷 五朗
藤原 兼家 段田 安則
スタッフ
脚本
大石静
演出
中島由貴
佐々木善春
中泉慧
黛りんたろう ほか
ナレーター
伊東敏恵
音楽
冬野ユミ
制作統括
内田ゆき
松園武大
プロデューサー
大越大士
高橋優香子
製作
NHK
他
2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」
3050
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次回は第47話。第48話が最終回と思われるので、あと2回の放送を残すだけになりました。
2024年12月15日(日)が最終回の放送予定日です。
今回は、最終回の時の登場人物たちの年齢をまとめてご紹介していきます。
最終回は道長がなくなる1027年まで描かれるのですが、刀伊の入寇の1019年から8年後になります。
大河ドラマ「光る君へ」
最終回の最後、1027年頃の登場人物の年齢と、人物について確認していきたいと思います。
読み上げませんが、( )書きで、その人がなくなった年齢も記載しますので、参考にご覧ください。
なお、年齢はあくまで概算ですので、ご了承くださいね。
最終回、まひろが何歳まで生きるのかは不明ですが・・
おそらく、道長と同時期になくなるものと予想しています。
藤原道長がなくなったのは1027年と言われていますので、その時の道長の家族の年齢をまずは確認してきますね。
道長の家族の1027年時点の年齢です。
道長 61歳(62歳)
彰子 39歳(86歳)
倫子 63歳(89歳)
明子 62歳(84歳)
頼通 35歳(82歳)
教通 31歳(79歳)
ここで紹介した道長の家族たちは、道長以外は全員かなりの長寿ですね。
この「光る君へ」というドラマにおいては「道長に愛されなかった女性」のようになってしまった倫子ですが、倫子自身が最終回で、自分の人生にどういう意味を見出すのか、気になります。
まひろから真実を聞いた時、どんなことを思うのか・・
そして、道長がなくなってから26年間も生きるんですよね。
どんなことを思いながら生きていったんでしょうか。
そして、道長の娘たちも確認しておきましょう。
まず、嬉子(よしこ)。
彰子が一条天皇との間に産んだ二人目の皇子である敦良親王(後の後朱雀天皇)と結婚した嬉子は、1025年に皇子を産みました。
のちに後冷泉天皇になるこの皇子・親仁親王の乳母には、まひろの娘・賢子が任じられます。
これは異例の出世なんですよね・・女房として最高と言える役割です。
賢子は、まひろ・・紫式部よりかなり出世したことになります。
こういう経緯があるので、歴史上でも、「紫式部の子は、藤原道長の子ではないか」という説があるんですよね。
嬉子は親仁親王を産んだ2日後に、わずか18歳でなくなりました。
そして、三条天皇の后となった妍子(きよこ)。
妍子は実は、道長と同じ年、道長よりも早くになくなります。
妍子は娘である、禎子内親王が、後朱雀天皇に入内するのを見届けてなくなったそうです。
先に後朱雀天皇に入内していたのは妹の嬉子でしたが、禎子内親王は叔母である嬉子がなくなってから入内しました。
道長がシに至る過程に、嬉子と妍子という二人の娘がなくなったことは
大きく影響していそうです。
そしてもうひとりの道長の娘、
威子(たけこ)は姉・彰子の産んだ子供である後一条天皇に入内していますが・・
後一条天皇は9歳年下ですが、威子より先になくなります。
後一条天皇は1036年まで生きて、28歳でなくなりますが、
威子は、一条天皇と同じ年、1036年に37歳くらいでなくなります。
敦良親王は「後朱雀天皇」として即位されます。
敦良親王はさきほどご紹介したとおり、道長の娘と孫を妻に迎えた人だったんですよね。
敦良親王は後一条天皇がなくなった1036年に即位され後朱雀天皇となります。
1045年、36歳ぐらいでなくなることになります。
母・彰子が長寿なのに、後一条天皇も、後朱雀天皇も早くになくなりました。
父・一条天皇が31歳ぐらいでなくなっているので、、父の血を受け継いだ・・ということでしょうか。
続いて、四納言です。
この中で、源俊賢は、道長より先になくなります。
・・が、道長と同じ1027年のことです。
67歳ぐらいでなくなります。
そしてそれ以外の3人は
藤原斉信・61歳(68歳)
藤原公任・62歳(75歳)
藤原行成・56歳(56歳)
行成のシがすごく運命的なのですが、行成は道長と同年同日になくなっています。
1027年12月4日のことだそうですが、道長は早朝になくなり、
行成はその夜になくなりました。
この関係・・行成も、道長とソウルメイトと言えるのかなと思いました(^_^;)
「光る君へ」の脚本を書かれている大石静先生が、「行成の道長への気持ちはLOVEである」とおっしゃっていたように思います。
行成は、明確に道長のことが「好き」だった、ということなんですね・・
そして、まひろの家族の1027年時点の年齢です。
まず、まひろですが、1027年は57歳です。
紫式部は歴史の史料でいつなくなったかが定かではないので、ドラマではいつのことになるのかと注目されていましたが・・道長とソウルメイトであるまひろは
おそらく同じタイミングぐらいで息を引き取るのではないか、と想像しています。
道長とまひろが、最後に会うのがいつなのか、気になりますね。
あと、最終回では道長とまひろに関わって、重大な問題解決が描かれるそうです。
このあたりの話は次回の動画でさせていただこうと思っていますので、
チャンネル登録をして、次の動画をお待ち下さいね。
賢子 28歳(80歳以上?)
賢子は、歴史上では「大弐三位」という名前で知られていますが
没年が正確にはわかっていないようです。
ですが、80歳くらいの頃に開かれた歌会へ歌を出した形跡があるということで
それぐらいまで生きていたと思われます。
実は、紫式部→大弐三位・・このドラマでいえば、まひろ→賢子に続く子孫が、実は天皇家につながってるんですよね。
ですので、今の皇族にも紫式部がつながっている、ということになりますね。
まひろの父・藤原為時は1027年では78歳ですが、80歳まで生きたということで
このドラマにおいてはまひろより長く生きることになりそうです。
実際歴史上でも、紫式部はもっと早くなくなったとする説が多いので、
為時の方が長く生きた可能性が高そうですね。
朝廷の人たちの1027年時点の年齢です。
藤原実資・70歳(89歳)
道長がなくなってから、19年も長い生きする・・というのはすごい。
ちなみに、道長の息子・頼通に対しては好意的だったそうで、実資が書いた「小右記」にも頼通を批判する内容は無いそうです。
逆に、頼通も「長老」として実資を敬ったんだとか。
ここは、もしかしたら、ドラマ内でも、道長が実資へ、頼通のことを頼むシーンがあるかもしれないですね。
実は、藤原道綱は、道長より先になくなります。
1020年頃、65歳で・・ということなので、最終回前の、12月8日放送回で、なくなったことが描かれるかもしれないですね。
1019年に道綱は、道長に対し、「少しでいいから、形だけでいいから大臣にして」と頼み込んだことがあったそうですが、これがドラマで描かれるのか・・?
藤原隆家は1027年時点で49歳で、1044年66歳ぐらいまで生きることになります。
大臣に・・という話もあったようですが、断る、ということで
もはや出世争いとは縁を切りたい、という思いだったのかもしれません。
隆家の子孫には、源頼朝の命を救った池禅尼がいるので
隆家がいなかったら、鎌倉幕府はなかたかもしれないですね。
・・・ということで、年齢のお話はここまでです。
次の動画では最終回に関わる重要なお話をさせていただこうと思っていますので
ぜひチャンネル登録をしてお待ち下さいね。
というところで今回の考察は終了です。
感想やご自身の予想など、コメントをお待ちしています。
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