↑この記事の内容はこちらの動画でご覧ください
#べらぼう #大河ドラマ #横浜流星 #高橋克実 #飯島直子 #中村蒼 #水沢林太郎 #渡邉斗翔 #小芝風花 #正名僕蔵 #水野美紀 #小野花梨 #久保田紗友 #珠城りょう #伊藤淳史 #山村紅葉 #かたせ梨乃 #愛希れいか #中島瑠菜 #六平直政 #安達祐実 #山路和弘 #東野絢香 #里見浩太朗 #片岡愛之助 #三浦獠太 #徳井優 #風間俊介 #西村まさ彦 #芹澤興人 #安田顕 #木村了 #尾美としのり #前野朋哉 #橋本淳 #鉄拳 #井之脇海 #市原隼人 #眞島秀和 #高梨臨 #奥智哉 #生田斗真 #寺田心 #花總まり #冨永愛 #映美くらら #渡辺謙 #宮沢氷魚 #原田泰造 #吉沢悠 #中村隼人 #石坂浩二 #相島一之 #矢本悠馬 #染谷将太 #落合モトキ #福原遥 #宮尾俊太郎 #橋本愛
こんにちは。#トケル と言います。
■再生リスト(過去の関連動画をご覧いただけます)
べらぼう
https://www.youtube.com/playlist?list=PLkU9O6QN85xcveodgp06Yu7CrofspMpmp
NHK大河ドラマ
2025年 日曜20時
「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」
出演者・キャスト一覧
蔦屋重三郎(横浜流星)
駿河屋市右衛門(高橋克実)
ふじ(飯島直子)
次郎兵衛(中村蒼)
留四郎(水沢林太郎)
唐丸(渡邉斗翔)
花の井 / 五代目瀬川(小芝風花)
松葉屋半左衛門(正名僕蔵)
いね(水野美紀)
うつせみ(小野花梨)
松の井(久保田紗友)
とよしま(珠城りょう)
大文字屋市兵衛(伊藤淳史)
しげ(山村紅葉)
きく(かたせ梨乃)
朝顔(愛希れいか)
ちどり(中島瑠菜)
半次郎(六平直政)
りつ(安達祐実)
扇屋宇右衛門(山路和弘)
志津山(東野絢香)
須原屋市兵衛(里見浩太朗)
鱗形屋孫兵衛(片岡愛之助)
鱗形屋長兵衛(三浦獠太)
藤八(徳井優)
鶴屋喜右衛門(風間俊介)
西村屋与八(西村まさ彦)
小泉忠五郎(芹澤興人)
平賀源内(安田顕)
平秩東作(木村了)
平沢常富 / 朋誠堂喜三二(尾美としのり)
勝川春章(前野朋哉)
北尾重政(橋本淳)
礒田湖龍斎(鉄拳)
小田新之助(井之脇海)
鳥山検校(市原隼人)
徳川家治(眞島秀和)
知保の方(高梨臨)
徳川家基(奥智哉)
一橋治済(生田斗真)
田安賢丸(寺田心)
宝蓮院(花總まり)
高岳(冨永愛)
大崎(映美くらら)
田沼意次(渡辺謙)
田沼意知(宮沢氷魚)
三浦庄司(原田泰造)
松本秀持(吉沢悠)
長谷川平蔵宣以(中村隼人)
松平武元(石坂浩二)
松平康福(相島一之)
佐野政言(矢本悠馬)
喜多川歌麿(染谷将太)
清水重好(落合モトキ)
誰袖(福原遥)
田沼意致(宮尾俊太郎)
てい(橋本愛)
スタッフ
脚本
森下佳子
演出
大原拓
深川貴志
小谷高義
新田真三
大嶋慧介
ナレーター
綾瀬はるか
音楽
ジョン・グラム
時代設定
江戸時代
制作統括
藤並英樹
石村将太
プロデューサー
松田恭典
藤原敬久
積田有希
製作
NHK
他
3600
ーーー
❉こちらに掲載の内容を使用して他者がコンテンツを作成されている場合、私から申し出を行い、動画の削除が行われ、またチャンネルアカウントが停止されます❉
すでに発売されているノベライズ本と内容が違うなと思った箇所が3箇所ありました。
これは演出上の都合・・なのか、それとも出演者の都合で変更されたのかわからないんですが
まず1つ目は、
鱗形屋から吉原細見を仕入れていたのは須原屋ではなく、実は蔦重だったということがわかるシーン。
鱗形屋へ須原屋自身が来て、説明していましたよね。
これ、ノベライズでは、須原屋から聞いた藤八が、鱗形屋へ説明する形だったんですが
今回の放送では、須原屋自身がきて鱗形屋へそれを伝え、
「蔦重は償ったが、おまえさんの方には償っておきたいものはないのか?」と聞いていました。
この方が、鱗形屋の気持ちが変わることに説得力が生まれていたなと思いました。
そして、もう一つは・・
鱗形屋が、蔦重へ「鶴屋から、春町先生をかっさらってほしい」と手紙を送ったシーン。
これ、ノベライズの方では、鱗形屋が直接耕書堂にきて伝えることになっていました。
ですので、ノベライズでは、「おまえ・・唐丸じゃないのか?」と言っていたのも、鱗形屋でしたが、
今回の放送では、鱗形屋の長男・長兵衛が言ってましたよね。
こうなる流れとして、
西村屋や鶴屋に、鱗形屋の板木を買ってもらう話をするシーンも
長兵衛が対応していましたよね。
ここも、ノベライズでは鱗形屋本人が対応していました。
どうなんでしょう??
もしかしたら鱗形屋を演じる片岡愛之助さんのスケジュールの都合だったのかもしれないですが
でも、今まで面と向かって素直な気持ちを言えなかった鱗形屋が、最後に蔦重へちゃんと素直に謝罪する流れにいくには・・
そこまで顔を合わさない方が良いのではないか、という演出上の変更だったのかもしれない、とも思いました。
いかがでしょうか。
ノベライズを読んでいても、本放送をみて「面白い」と思えるところがたくさんあるので本当に素晴らしいなと思っています。
今後も一緒に、あらすじの予習をしつつ、本放送をしっかりと楽しんでいきましょう!
大河ドラマ「べらぼう 蔦重栄華乃夢噺」ドラマ考察
公式から公開されているあらすじを先取りして、僕の解釈と考察でお話ししていきます。
過去に公開した動画はコメント欄にある再生リストから観ることができます。
朋誠堂喜三二の本を褒めてくれていたという、大田南畝の「菊寿草」。
大田南畝は喜三二だけでなく、蔦重の耕書堂のことも褒めてくれているようでした。
その御礼をいうべく、須原屋に仲介してもらって、
大田南畝の屋敷へ蔦重は向かいました。
今回・・おそらく大田南畝は32歳、蔦重は31歳ぐらいだと思います。
大田南畝は19歳のときに書いた「寝惚先生文集」という狂詩・狂文集で有名になった人で、
南畝が書き留めていたものを平秩東作が平賀源内へ見せ
源内がおすすめの「序」を書いて、出された本だったそうです。
平秩東作も「狂歌師」として有名な人だったんですね。
狂詩・狂文・狂歌は・・簡単にいうと「パロディ」ですかね。
よく知られた「真面目でかたい、よく知られた、詩や歌、文」をあえてふざけたり、おもしろくしたりして書き換えることで、笑いや風刺を生み出すものだそうです。
そうすると、そもそもそれなりに教養がないと・・書けないですよね。
大田南畝は、今回の登場時は
すごく貧しい下級武士として描かれます。
・・が、じつはのちに大きく出世する人です。
少し先のネタバレをすると・・
その、南畝が出世した理由は松平定信が作った制度によるもので、
それで幕府の重要な仕事に就くことになります。
松平定信が寛政の改革で導入したものの一つ「学問吟味」という試験
この試験で優秀な成績をおさめた南畝は、幕府で重要な役職を与えられるようになっていくそうです。
でも逆に、定信による出版・文芸への規制で影響を受ける人でもあるんですよね。
定信によって人生が良い方向に転び、悪い方へもころんだ人、と言えそうです。
そうやって考えたら・・この大田南畝も、もしかしたら「もう一人の主人公」と言えるような人なのかもしれません。
この大河ドラマ「べらぼう」では、蔦重と意次がセットで語られていますよね。
大田南畝と松平定信もまた、セットで語られる可能性がある人だなと思っています。
今後、大田南畝と松平定信の2人がどんなふうに描かれるのかについても
注目してみていきたいと思います。
南畝の家は・・ボロボロのようです(笑)
こんなに名前が知られているのに・・と蔦重は思いますが、でも武士である南畝は下級武士で、給料は少なく借金まみれ。
たとえば朋誠堂喜三二も武士ですが、喜三二は武士の中でも身分が高い人なので、全然違います。
朋誠堂喜三二はは秋田藩の江戸留守居役で、いわゆる「外交官」のような立場。
秋田藩の藩士ですが、比較的身分が高い人です。
ですが、大田南畝は幕府に仕える者ですが、その中でも下級武士の家に生まれた人でした。
こんなに貧しいのに、南畝はとても楽観的。
その明るい物の見方に蔦重は大いに共感します。
耕書堂で本を書くなら狂歌が良い、という南畝は
唐衣橘洲(からごろもきっしゅう)、朱楽菅江(あけらかんこう)と一緒に「狂歌三大家」と言われています。
その南畝から蔦重は、狂歌の会へ誘われます。
狂歌はかなり流行っていたようなので、そこに「ヒット」の可能性を感じた蔦重は「ぜひ参加させてほしい」と願い出ます。
鶴屋は、ただの「いけすかない」やつではなく
たぶん「見る目」は持っている人だと思います。
だから、「菊寿草」で朋誠堂喜三二の本が褒められればそれがヒットすることになる・・といったことや
喜三二の書いた「見徳一炊夢」が面白い本であることも十分わかっていそうです。
実は「菊寿草」では、鶴屋の本もたくさん高い評価を受けていたようですが・・
鶴屋は、本の評価の良い・悪いを気にする、というよりも
蔦重の耕書堂がどんどん、「本屋」としての存在感を高めてきていることを気にしているのではないかと思います。
西村屋はそんな鶴屋へ、錦絵で一矢報いてやると言いますが
鶴屋は西村屋へ、とにかく「吉原細見」を大事にしてほしい、と言います。
市中の方も細見を「出しているということ」が大事。
吉原に対して「弱み」を作ってはいけないということだと思います。
吉原細見は吉原通いの男性だけでなく、観光客や吉原の土産として買う人も多く、
地本問屋にとって重要な商品です。
これを機に、蔦重・耕書堂に、吉原細見をもっていかれてしまうと・・
おそらく地本問屋たちは蔦重・耕書堂に頼らざるを得なくなる・・
そこまで鶴屋は考えていたんじゃないでしょうか。
これ・・西村屋には伝わっていないかも、しれません。
錦絵の本を売れれば、それと合わせて細見も売れるはず、というふうに考えていそうです。
他の地本問屋たちは・・本屋なのに、なぜ一番評判になっている「見徳一炊夢」を置いてないのかと客から言われているとみんな不満をもっています。
耕書堂が出している本だから・・市中の地本問屋にはおかない。
今は、この地本問屋の「仲間」では、そういう取り決めをしてるんですよね。。
でも、この状況で、いったいいつまでその決まりを守られるのか・・。
耕書堂に、市中の地本問屋である岩戸屋がきました。
「見徳」を売ってくれ、と言いに来た岩戸屋ですが、
そんなの買ってしまって、市中の地本問屋仲間から咎められるのでは?と聞かれると、
今年一番の本を置いてないっていうのは本屋としてまずい、と他の日本橋の本屋に言い訳ができるから、問題ないと説明します。
言い訳さえ立てば耕書堂の本を仕入れたい本屋はいっぱいいる。
蔦重は岩戸屋の言葉をヒントに、新しい作戦を考えたようです。
西村屋板の細見を歌麿に向かって見せながら
蔦重は
「鳥居清長」の絵にそっくりの絵を書いて欲しい。
写すのではなく、清長が描いたとしか思えないような別の絵を仕立ててほしい、と言います。
吉原細見に「清長風」の絵をいれるわけではないと思うので、
歌麿に描いてもらう清長風の絵は別で使い、それを利用することで、
吉原細見をうまく、耕書堂からみんなが仕入れるように仕向けていこうという企みのようです。
2つの作戦を同時に走らせるんですね。
西村屋は「鳥居清長が描く、雛形若菜」をあちこちの女郎屋で売り込んでいました。
雛形若菜にとりあげてもらいたい女郎が、客に頼んで
客が金を出してくれる仕組みです。
入銀を約束してくれる人もいるのですが・・
一方で、入銀を取りやめたいと言ってきた人もすでに5人ぐらいいました。
なぜなのか・・
そこで西村屋の手に渡されたのが
同じ清長が描いたと思われる絵の見本でした。
これが西村屋の半分の入銀でOKと、蔦重がふれまわっているようです。
でも別に「清長が描いた」とは言っておらず、あくまで似てるだけ。
「これは誰が描いたんだ!?」という評判を見込んでいるようです。
その名も「雛形若葉」
この・・錦絵本を、歌麿に頼んだ絵で実行しているんですね・・
歌麿が描いているのでお金がかからず、西村屋の半額でできてしまう。
「清長そっくりの絵じゃないか!」ということをアピールして「誰が描いているんだ!?」という興味を引き、売上ものばしていこうと考えているようです。
西村屋は蔦重へ抗議しにいきます。
でも、「そもそも汚いやり方もありだって教えてくれたのは西村屋さんですよね?」
と蔦重は反論します。
西村屋は「雛形若葉」で頭がいっぱいですが、本当の狙いは違うものでした。
それは「吉原細見」です。
実は吉原ぐるみで企みをしていて、西村屋には嘘の情報を流し、西村屋板細見のために集められた情報は「古いもの」になっていました。
そこに目を行き届かせておくことができなかった西村屋・・
鶴屋から言われてましたよね、「細見を大事にしてください」
鶴屋は蔦重が考えそうなことが先読みできてたってことですよね。
おそらくもう、、西村屋の細見は、、間に合わないでしょう。
吉原細見の出版が・・間に合わない?!となり、
それで鶴屋は焦って、西村屋のところにやってきました。
吉原細見が西村屋から売り出されない、ということは市中の地本問屋の間で問題になります。
大事な「売れ筋商品」ですからね・・
それで、市中の地本問屋仲間の会合が開かれました。
耕書堂から吉原細見を買わせろ!
耕書堂の本を仕入れられないのはおかしいと岩戸屋を中心に声が上がります。
そして、もし認められないなら・・とでていこうとする岩戸屋らをみて
鶴屋は
耕書堂から本を仕入れることを認めると言います。
これに、まだ反対する勢力はありましたが、鶴屋がそれを黙らせます。
岩戸屋たちは、これからは耕書堂からも本を仕入れますねと宣言してでていきましたが・・
鶴屋が認めたのはなぜなのか。
それは、もし認めなかったら
出ていこうとした岩戸屋たちと蔦重が新しい「仲間」を作ってしまうと思ったから。
そうなると、残された者たちがなんともなくなりますよね・・
岩戸屋は実はすでに蔦重と組んでいたんですね。
だから岩戸屋は、市中の地本問屋の会合で、騒いでみせたんですね。
そして結果的に、耕書堂から本を仕入れて良い、という言質を得ることができました。
だから、今回の岩戸屋の耕書堂からの仕入れは「タダ」に。
耕書堂には、本を仕入れたいという市中の本屋が殺到し、すごい売り上げになりました。
市中の地本問屋仲間は、正式に、耕書堂を「仲間内」として認められたということなのか・・?
鶴屋はもう、蔦重の商売の才は認めることにしたようです。
ですが、鶴屋の考える「本屋」とは違う。
さらに、吉原者に対する差別も鶴屋は抱えたままです。
吉原者と会って話をすることすら不愉快、という感覚です。
耕書堂が市中の本屋取引することは認めたが、鶴屋が取引したいわけではない。
そう、鶴屋は蔦重へ宣言します。
北尾政演は鶴屋でも描いています。
鶴屋は北尾政演へ「本気で戯作をやってみないか」と誘います。
これは、鶴屋が見事に見抜いたことで、北尾政演には戯作者としての才能があることにいち早く気づいていました。
この結果、北尾政演は「山東京伝」となり、ベストセラー作家になっていくことになります。
絵師としては蔦重の元でも活動していた北尾政演ですが
戯作者としては、鶴屋が才能を見抜いた形になるようですね。
そして、蔦重は、大田南畝に招かれた「狂歌の会」に参加することになりますが
ここで蔦重は、狂歌の奥深さを知り、とても高ぶることになります。
狂歌の会では参加者は「狂名」という、狂歌を詠むときの名を名乗るようです。
その会には、源内と一緒にいた平秩東作もいました。
この人は事業家で戯作者、狂歌師としての顔も持っている人のようです。
会を主催している元木網(もとのもくあみ)。
その妻である智恵内子(ちえのないし)、朱楽菅江(あけらかんこう)
そして大田南畝が、見事で面白い狂歌を詠みます。
そこに一段、身分が高そうな「軽少ならん」という狂名の人物・・
土山宗次郎がやってきました。
勘定組頭・・現代でいえば、財務省の中間管理職にあたるような仕事をしている人ですが、
金回りの良い人で、大田南畝の遊びのかねも、この人が負担していたようです。
ちなみにこの人が、いずれ、吉原の花魁・誰袖を1200両という高額で身請けすることになる人ですが・・
どうしてそうなるのか、気になりますよね。
ここで、蔦重と顔を合わせることになるようです。
蔦重はこの会に参加して、狂歌の持つ力を目の当たりにし、今後流行るし、俺が流行らせる!と、耕書堂へ帰って、歌麿へ宣言することになりました。
ここから、幕府側の動きを確認しておきたいと思います。
一橋治済へ、田沼意次が、次の将軍の話をしにきました。
治済の息子・豊千代を次の将軍に、という話です。
もはや一橋家以外には将軍を継ぐ男子はいない、という状況なので
この話がくるのは当然ですし・・
おそらく裏で治済が暗躍していたと思われるので、全て知っていることのはずですが
治済はこの話をあえて「驚いた」ように見せて、聞きます。
その豊千代にはすでに、結婚相手が決まっていて、それは薩摩藩からきた茂姫という女性でした。
将軍の妻というのは、宮家もしくは五摂家の姫というのが習わしらしく・・
茂姫には「側室」になってもらいたいと意次は治済へ伝え、
治済は、薩摩藩・島津家へそう伝えておく、と答えました。
しかし、その後、それは「浄岸院様」の意向に沿わないと島津から不服の申し立てがありました。
浄岸院様というのは、吉宗が愛した女性と言われている人で、
その後島津家5代藩主の妻となった人です。
もともと、豊千代と茂姫の縁組はその浄岸院の遺言によって行われたもので
それを反故にはできない、ということでした。
まあ、これも治済の意向にそった言い返しだと思いますが・・
家治としては、もともと家基の妻になるはずだった種姫に、豊千代の妻となってもらい、御台所となるよう進めていきたい意向だったようです。
治済は、田安家・・のことも排除したがっている印象がありますよね。
種姫が次期将軍の妻となれば、そのときには田安家出身の松平定信が力を持つはず。
それを避けたいのだろうと推測されます。
そして治済は、ハッキリと、松平定信が力を持つことは意次も望まないはずだ。
そうではないのか?と意次へ言い、
意次も胸がざわつくようです。
意次は、将軍・家治のために働きたいという気持ちと
松平定信への対抗心のはざまで、揺れ動くみたいですね・・
結局、種姫の嫁ぎ先は吉宗の故郷である、紀州徳川家に決まりました。
そして、これから西の丸には豊千代と、その母が入ってくるということになり
知保の方は無理矢理、西の丸から連れて行かれることになります。
知保の方は・・ドクの事件のときからそばにいる、一橋家からきた「大崎」にコントロールされていたのかもしれないですね・・
島津家が、豊千代への種姫輿入れを妨害したのも・・
それどころか、家基をころしたのも、松平武元(たけちか)をころしたのも
すべて意次のせいだと言っていたようです。
「将軍の母」になるはずだった知保の方・・惨めな末路ですね・・
ちなみにですが、この知保の方は、なくなってから30年後ぐらいに「従三位」を追贈されているんですが、これは御台所や将軍の生母以外の人として叙位されることはほとんどないものだったそうです。
30年後にはなりますが、「将軍の生母」と同等、とみなされた、ということなですかね・・
家治が思い描いていた「世継ぎ」の形にはならなかったことを意次は詫びましたが
家治は意次が世に残る仕事をなしてくれればそれで良いと言います。
家基がなくなって、全てからやる気をなくしたと周囲からはみられていそうですが
でも家治は、「世のためにこうするべき」ということをやるため、意次にとって仕事をしやすい環境を整えたいと思っているようですね。
でも、これだけ家治が意次を守ってくれているということは・・
家治がいなくなったときが、意次が最も危ないんじゃないか、そう感じますよね。
次回は、源内が意次へ提案していた「蝦夷地開発」の話が持ち上がってきます。
きっと源内を失ったこと・・
意次はあらためて・・後悔することになるんでしょうね・・
--
今、9万人を超える方がチャンネル登録してくれています!
チャンネル登録すると、僕の次の動画を見つけやすくなります。
特に応援したいと思ってくださる方はチャンネルメンバーシップに登録してくださると嬉しいです。
詳しくは動画の概要欄をご覧ください。
いいねボタンを、押していただき、本当にありがとうございます