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#まぐだら屋のマリア #藤原季節 #坂東龍汰
こんにちは。#トケル と言います。
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まぐだら屋のマリア
https://www.youtube.com/playlist?list=PLkU9O6QN85xeK4wEMKX-ph5y5ZtMOwuP-
NHK土曜ドラマ
2026年4月〜5月期 土曜22:00
「まぐだら屋のマリア」
出演者・キャスト一覧
有馬りあ(ありま りあ)尾野真千子
及川紫紋(おいかわ しもん)藤原季節
浅川悠太(あさかわ ゆうた)/丸狐貴洋(まるこ たかひろ)坂東龍汰
与羽誠一(よはね せいいち)斉藤陽一郎
与羽杏奈(よはね あんな)前田亜季
早乙女晴香(さおとめ はるか)大原梓
有馬りあ・高校時代(ありま りあ)川口真奈
丸狐由美(まるこ ゆみ)中島ひろ子
湯田真(ゆだ まこと)近藤公園
宮前登紀子(みやまえ ときこ)増子倭文江
立浪(たつなみ)尾美としのり
紘子(ひろこ)中嶋朋子
住吉克夫(すみよし かつお)田中隆三
桐江怜子(きりえ れいこ)岩下志麻
スタッフ
原作
原田マハ『まぐだら屋のマリア』
脚本
小寺和久
音楽
河野伸
主題歌
中島みゆき『一樹』
演出
長崎俊一
制作統括
渋谷未来
樋口俊一
プロデューサー
井上季子
制作・著作
NHK
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「彼は、マリアに恋していたのか」
おつかれさまです。
ドラマ考察系YouTuberのトケルです。
NHK土曜ドラマ
「まぐだら屋のマリア」
今回は、全話を観たあとに、僕が特に気になったことを話していきたいと思います。
●及川紫紋は、マリアに恋していたのか
●まぐだら屋に来た青年は、なぜ紫紋の後輩と同じ顔だったのか
●住吉克夫の娘と、マリアが重なって見えるのはなぜなのか
●母親との関係が重要な物語だった
このあたりを話していきます。
なお、僕は原作小説は読んでいません。
今回は、ドラマ版を全話観たうえで、僕が感じたこと、考えたことを
ポイントを絞ってお話しします。
なので、原作で描かれている意図とは違う可能性があります。
また、今回は全話視聴後の感想なので、結末を含めたネタバレがあります。
まだ観ていない方は、ぜひ観終わってから戻ってきてください。
もう一点、役名にはキリスト教に関わる意味もあるのかなと思うんですが、僕は「マリア=聖母」というぐらいの認識しかなく・・そこは詳しくありません。。
もし、その観点から違うところがあれば、ぜひコメントで教えてください。
この動画は、作品を観た人と感想を共有する場所にしたいです。
みなさんがどう受け取ったのか、ぜひコメントで書き込みをよろしくお願いします。
まず、僕がこのドラマを観終わって思ったのは、
「まぐだら屋のマリア」は、恋愛の話・・とはちょっと違うのかな、ということです。
ドラマを観始めたとき「恋愛的な部分も描かれるのかな・・」と思いながら観ていたことがあり、また、藤原季節(きせつ)さん演じる及川紫紋(おいかわ しもん)が、尾野真千子さん演じる有馬りあ(ありま りあ)、マリアのことを好きなのかな、と感じるところはありました。
紫紋の表情を見ていると、マリアに特別な気持ちを持っているように見えたので・・
そこはたしかにあると思います。
でも、それを普通の恋愛として見ると、少し違う気がしました。
紫紋は、人生を終わらせようとして尽果(つきはて)に来た人・・
そこでマリアに出会って、温かい料理を食べさせてもらう。
何があったのかを無理に聞かれず、そこにいていいと受け入れてもらう。
「受け入れてもらう」というのが恋人的でもあるのですが・・
表現が難しいんですが
無条件に受け入れてくれるもの・・のイメージですかね。
何かをお願いしたら聞いてくれる、という意味ではなくて、
自分がここにいること自体を受け入れてくれる感じです。
自分は、まだ生きていていいのか。
自分は、ここにいていいのか。
そういう気持ちをもった紫紋が「生きてて良い、ここにいていい」と思わせてくれるもの、
紫紋にとって、マリアはそういう存在だったように見えました。
このドラマで、僕が一番大事だと思ったのは、
食べることです。
紫紋は、尽果に来たとき、もう生きる気力を失っていたと思います。
でも、まぐだら屋でマリアの温かいご飯を食べる。
そこで、少しだけ体が生きる方へ戻っていく。
人は、気持ちの切り替えだけで生き直せるわけではなく
お腹が空いて「食べる」
温かいものを食べて、身体があたたまる。
食べることで、心より先に体が「まだ生きたい」と反応するんですよね。
紫紋は、マリアの料理によって、そういうところから戻ってきたんじゃないかと思います。
そして、マリアはそれをわかっている人なんですよね。
言葉で救うのではなく、まず食べさせる。
詳しい話しを聞くことよりも、とにかく食べさせる。
これが、まぐだら屋、マリアのすごさだったと思います。
これは・・自分の経験から・・ということなんですよね。
母親を喜ばせたかった。
ちゃんと料理人としてやっていきたかった。
でも、もう帰れない。
そう思っている人が、尽果に流れ着いた。
マリアは、「あなたは悪くない」と簡単に言うわけではなく、
何があったのかを、すぐに聞き出すわけでもなく・・
まず、食べさせる。そして、そこにいさせる。
この感じは・・すごく母親的ですよね。
まず温かいご飯を出す。
これが、紫紋にとっては救いだったと思います。
まあ、実際には「母親」だとしてもこのように行動できる人がどれだけいるか、ということも感じたりしますが😓
どんな状況にあっても、母親なら息子のことを受け入れてあげるんだろうと感じました。
対価を求めない、無償の愛ですよね。
そのため、紫紋がマリアに向けていた気持ちは、恋愛だけでは説明できないと思いました。
もちろん、恋愛に近い「好き」という気持ちもあったかもしれません。
でも、それ以上に、母親のようなあたたかさを感じていたんじゃないかと思います。
岩下志麻さん演じる桐江怜子(きりえ れいこ)は、紫紋に対して、マリアに惚れるな、ということを言います。
最初は、単純に
「マリアと恋愛するな」
という意味に聞こえたんですが、
でも、最後まで観ると、もう少し違う意味もあったのかなと思いました。
桐江は、マリアの過去を知っています。
桐江から見ると、マリアは、自分の娘の人生を壊した人。
だからマリアのことを簡単には許せない。
これは、マリアのことを悪女だと言いたいだけ・・ではないんですよね。
では、なぜ紫紋がマリアに惹かれることを、桐江はそんなに危ないと感じたのか。
マリアに恋するな、というのは、
マリアに自分の人生を全部預けるな。
自分の足で生きろ。
そういう言葉にも聞こえました。
これはもしかすると、桐江自身もマリアから離れられなくなっている自覚があったから・・なのかもしれないですね。
マリアが周囲へどんなふうに接しているのか、そして紫紋のような形で尽果にやってくる人がどういう心情なのかを・・理解しているからこそ出た言葉のような気がします。
マリアのほうも、自分を罰して生きていて・・
誰かを救うことで、自分の罪を償おうとしているようにも見える。
そうなると、紫紋はマリアにすがり、マリアは紫紋を救おうとし続ける。
お互いに必要としているようで、実は二人とも自分の傷から抜け出せなくなるかもしれません。
桐江は、そこを危ないと感じたんじゃないかと思います。
なぜかといえば、自分自身が・・そうなっている、と思っているからかも、しれないですよね。
この作品で面白いのは、似ている人が現れることです。
一番わかりやすいのは・・坂東龍汰さん演じる浅川悠太と、同じく坂東龍汰さん演じる丸狐貴洋(まるこ・たかひろ)です。
尽果が不思議な場所・・というわけではなく、
これは「紫紋のため」に起こったことなのかなと思いました。
紫紋にとって「救えなかった後輩」である悠太。
その悠太と同じ顔をした丸狐貴洋(まるこ たかひろ)が現れたことで、紫紋は逃げていた罪悪感と向き合わされることになったと思います。
でも「過去をやり直す」ことはできないし、悠太はもう戻りません。
ただ、目の前で沈んでいる丸狐に対しては、今の紫紋にはできることがある。
過去は変えられない。
でも、今いる誰かに手を伸ばすことはできる。
このことを紫紋に気づかせるために、同じ顔の青年が現れたんだと思いました。
もしかしたら・・そっくりに見えていたのは、紫紋の目線からだけ、だった可能性もあるかもしれないですね。
紫紋は「母を幸せにしたかったのに、帰れなくなった人」
丸狐は「母をころしたと思い込んだ子ども」
自分が誰かをしなせてしまったと思った、という意味では、紫紋と丸狐も似ています。
救えなかった、もう帰れない、自分は生きていてはいけない
この想いが重なっていて
丸狐は、紫紋の心を、紫紋自身に見せてくれた存在だったと思いました。
そして、マリアに似ている女性も出てきてましたよね。
住吉克夫(すみよし かつお)は、マリアが尽果に来たとき初めに声をかけてくれた人だったと思いますが、
その住吉克夫の娘の写真が、若い頃のマリアと重なって見えました。
ここはどちらかというと、住吉の家族や・・他の尽果の人たちが「似てる」と思ったのかもしれません。
それで尽果の人たちは、マリアのことをより強く助けたいと思ったのではないでしょうか。
これも、マリア本人よりも周囲が重ねてしまった部分がありそうですよね。
失った娘にはできなかったことをマリアにしてあげる、それこそが自分たちのやるべきことだと思った結果かなと思いました。
マリアは「(実の)母に守られなかった少女」であり、
でも「別の母(のような存在)に許されたい女性」だったと思います。
「母」のようにたくさんの人に癒しを与える存在でいながら、
マリア自身が最後に向き合うべきも、やはり母親だったんですよね・・
「マリア」がタイトルに入っている通り、紫紋や丸弧のことも含め
「母」との関係が非常に重要な物語だったと思いました。
「尽果」という場所、
尽果という名前は、どうしても「尽き果てる場所」に聞こえます。
紫紋も最初は、人生を終わらせる場所として尽果へ来ました。
でも、最後まで観ると、尽果は死に場所ではなかったと思います。
尽果は、もう帰れないと思った人が流れ着く場所ですよね。
尽き果てた人がくる場所・・なんだと思います。
母のところへ帰れない人。
自分の過去に向き合えない人。
誰かを傷つけたと思っている人。
自分は生きていてはいけないと思っている人。
そういう人たちが流れ着く。
最後の最後に流れ着く・・
でも、この尽果では、もう一度生命力を取り戻すことができる。
また、「戻る」ことができる場所。
この場所で、いろんな人の助けを受けたことで生命力を取り戻すことができたマリアが、まぐだら屋で
「もう帰れない」人を迎えてあげてご飯を提供する。
紫紋も最後、帰れていました。
行きのバスでは「もう返すこともない」と思っていた100円をちゃんと運転手へ返せていたのが本当に良かったです。
しぬつもりだった人が約束を守り借りたものを返す。
生きる方へ強く踏み出したということだと思います。
そしてマリアはまた・・次に来るお客さんのために、料理の下ごしらえをしてましたよね・・
罪をなかったことにすることはできない。消えることはない。
でもだからこそ、しぬのではなく、自分にできることをする。
それが「償う」ということなのかもしれないですね。。
自分はこう思った、ここが刺さった、ここは違うと思う、
そういうコメントもぜひ書いてください。
次回以降もドラマ感想・考察動画を公開していきますので、
よかったらチャンネル登録、高評価もよろしくお願いします。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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