冬のイベントとしてもはや定番となったイルミネーション。
イルミネーションとは・・日本語でいうと「電飾」
つまり、電球の光であらゆる造形をつくり夜に楽しむことができる風景を作る
そういうのをイルミネーションというらしいです。
最近ではイルミネーションだけでなく、
3Dプロジェクションマッピングなんかも合わせて開催されることが多いですよね。
イルミネーションという言葉がいつからよく使われるようになったかは・・
ちょっと不明ですが、もとは「ライトアップ」とよく言われていたような。
「ライトアップ」という言葉だとイルミネーションよりももう少し幅が広がって
光を使って建物などを照明して、夜間の景観を演出する・・というような意味かと。
そのライトアップを日本で初めて、最初に開催したのが・・
たぶんあの有名な織田信長であるというのはご存知ですか??
★織田信長がイルミネーションを開催した場所
昔の話なので、「電飾」ではありません。
「火」「たいまつ」「提灯(ちょうちん)」を使ったものなので
イルミネーションというよりも「ライトアップ」と言った方が正確ではないかと思いますが。
その開催した場所とは・・あの有名な
安土城
と、安土城にあったお寺・摠見寺だそうです。
ちなみに電飾・・という意味だと、
1903年に大阪で開催された博覧会が初めてのイルミネーションではないか
と言われているみたいです。
★どんなライトアップだったのか
イメージ図です。
きっと、こんな感じですごかったんでしょう!
ルイス・フロイスの「日本史」に記録されているそうです。
「いかなる家臣も家の前で火を焚くことを禁じ、色とりどりの豪華な美しい提灯で上の天守を飾らせた」
また、「信長公記」の1581年7月15日では、
「七月十五日、安土城の天主閣および惣見寺にたくさんの提灯を吊るさせ、また、お馬廻り衆を新道に配置し、または入り江に舟を浮かべさせて、それぞれに松明を灯させた。城下一帯が明るく、灯は水に映って、言いようもなく面白く、見物の人々が群れ集まった。」
城下の家などの火や光・灯りになるものは全て消させたそうです。
そうして暗闇の中に、ライトアップされた安土城と摠見寺を浮かび上がらせたとか。
これは・・幻想的だったでしょうねぇ。。
今みたいにLEDでいろんな色があって・・というのではなく
火の光、オレンジ色の統一された光で。
また、安土城は琵琶湖岸にあったので、琵琶湖の湖面に映る城の姿も
相当キレイだったようです。
城の天守だけでなく、その城の中の道も含めてのライトアップ。
ちょうちんを使って、また琵琶湖岸ですかね?船上でも松明(たいまつ)を炊いたとか。
その後、安土城は燃えてなくなってしまうのですが・・それを予言していたかのような・・というようにもとることができますよね。
でもこのライトアップを観た人たちはみんな、これを開催した信長を天下人として
認識したでしょうし、これまでみたことないようなものを創りあげたある意味神に近い
存在として認識したかもしれません。
だから、まさか信長の時代に終わりが来るとは・・この時は誰も思わなかったかと。
★安土城は「みせる城」だった
安土城は「みせる城」だったという話があるみたいです。
というのも、残っている資料や遺構を調べてみるとどうやら防御力が高い城ではないと。
つまり、戦を想定してない城だったということなんですね。
じゃあ何のためかというと、この城をみせて「すごい」と思わせる
というような政治的な利用のされ方を考えて作られたのではないかと。
また、この安土城を築城する頃には信長の領土はかなり広く
安土まで攻めて来られる、ということは想像する必要がなかった
というのもあるかもしれません。
頂上付近まで一直線に広い道が続いてますからね。
攻められることを想定してたらありえない(笑)
とにかく「みせる城」だからこそ、
徹底的に「みせる」ためにはどうすれば良いか、
を考えて、このようなライトアップを行ったのではないかと思われます。
今の人がもしこの方法でライトアップされた安土城をみてもきっと
「信長はすごい」と思うでしょうし。
★いつライトアップしたのか?
天正9年(1581)7月15日(現在の暦で1581年8月24日)のお盆の日
だそうです。
「お盆の日」であったのは・・
やっぱりお盆の日には提灯等をなくなった方への送り火として飾る
ご先祖様を供養する・・という風習があったからなのかなと思いますが。
こういう、先祖を想うような祭祀さえも天下人である自分が管理するのだ
というアピールではないかという話もあるみたいです。
いまから400年以上も前に、こういうことをやろうと考えたことがすごいですね。
それまでそんな風習があったわけではないですから。
★集客は
まあ「集客したい!」という意向があったかは不明ですが。
一部の資料だと、京や大坂からも見物客が来たという話も。
すごい効果ですよね。
ちなみに、人が集まったと聞くと・・儲かるの??みたいなことを考えたくなりますが(笑)
このライトアップで収入があったかどうかはわからないんですけど
信長が安土城でやったらしいことで面白い話が。
1582年(天正十年)の正月に、安土城の見学会を行って
参加する人から1人永楽銭100文(現在のお金で15,000円ほど?)の拝観料を取ったとか(笑)
人が多すぎて石垣の一部が壊れるほどだったそうです。
しかも、信長自身が入口で拝観料を徴収したという・・
これは何なんでしょうね?
まあお金もらって嬉しいかもですけど、
信長ほどの人が1人1人から金をもらっても「はした金」でしかない気が(笑)
お金を払わせるという行為自体に意味があったんでしょうね。
15,000円という金額は、中に入るだけだとすると高過ぎる気もするけど・・
まあそれだけ価値があるんだぞ!と認識させるためパフォーマンスだったんですかね。
自分は神だからお賽銭をよこせ、そういうことかもしれないですね。
★信長はやっぱりすごい
その当時の人が考えもしなかったことを実行している
やっぱり天才的ですよね。
現代にいてもきっと、能力を発揮したんじゃないかと思われます。
まあこれが自分で考えたものではなく
たとえば外国からきた誰かから「ライトアップっていうのがあって」という話を聞いていたとしても
それに価値があって、周囲からどのような評価を受けるのかを予想して
実行できることがすごいんだと思います。