ノーベル賞が設立された理由は、ノーベルが若い女に騙されたことがきっかけ トリビアの泉
ノーベル賞をごく普通の一般人がとられることは
ほとんどありえないと思いますが・・・
日本人が受賞してくれると嬉しいですよね。
日本が世界に認められた、という感じがして
とても嬉しいです。
物理学賞とかノーベル文学賞とか
いろんな賞がありますが・・
このノーベル賞ってどういう賞だか知ってますか??
トリビアの泉
ノーベル賞とは?
すごーく簡単に言うと・・
ダイナマイトを発明したノーベルは巨万の富を築いたが
自分が死んだあとに、どんな言われ方をするか不安だった。
そのため、「人類に貢献する」人たちへの賞を設立することで
名誉ある方向で名前を残そうとした。
遺言でそのような方へ自分の遺産を運用して賞を授与することを託した。
(ちょっとニュアンス違うかもしれませんが・・)
ノーベル賞(ノーベルしょう)は、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの遺言に従って1901年から始まった世界的な賞である[1]。物理学、化学、生理学・医学、文学、平和および経済学の「5分野+1分野」で顕著な功績を残した人物に贈られる。 経済学賞だけはノーベルの遺言にはなく、スウェーデン国立銀行の設立300周年祝賀の一環としてノーベルの死後70年後にあたる1968年に設立されたものであり[2]、ノーベル財団は「ノーベル賞ではない」としている[3]が、一般にはノーベル賞の一部門として扱われることが多い。
賞設立の遺言を残したアルフレッド・ノーベル(1833年10月21日 - 1896年12月10日)はスウェーデンの発明家・企業家であり、ダイナマイトをはじめとする様々な爆薬の開発・生産によって巨万の富を築いた。しかし爆薬や兵器をもとに富を築いたノーベルには一部から批判の声が上がっていた。1888年、兄のリュドビックがカンヌにて死去するが、この時フランスのある新聞がアルフレッドが死去したと取り違え、「死の商人、死す」との見出しとともに報道。自分の死亡記事を読む羽目になったノーベルは困惑し、死後自分がどのように記憶されるかを考えるようになった[4][注 1]。1896年12月10日に63歳でノーベルは死去する[5]が、遺言は死の1年以上前の1895年11月27日にパリのスウェーデン人・ノルウェー人クラブにおいて署名されていた[6][7]。
この遺言においてノーベルは、「私のすべての換金可能な財は、次の方法で処理されなくてはならない。私の遺言執行者が安全な有価証券に投資し継続される基金を設立し、その毎年の利子について、前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする」と残している。彼がこの遺言のために残した金額は彼の総資産の94%、3100万スウェーデン・クローナに及んだ[8]。周辺の人々はこの遺言に疑いを持ったため、1897年4月26日までこの遺言はノルウェー国会において承認されなかった[9]。その後、彼の遺志を継ぐためにラグナル・ソールマンとルドルフ・リリェクイストがノーベル財団設立委員会を結成し、賞設立の準備を行った[10]。賞の名前はノーベルを記念してノーベル賞とされた。1897年4月には平和賞を授与するためのノルウェー・ノーベル委員会が設立され、6月7日にはカロリンスカ研究所(スウェーデン)が、6月9日にはスウェーデン・アカデミーが、6月11日にはスウェーデン王立科学アカデミーが授与機関に選定されて[11]選考体制は整った。賞の授与体制が整うと、1900年にノーベル財団の設立法令がスウェーデン国王オスカル2世(1905年まで兼ノルウェー国王)によって公布された。1905年にノルウェーとスウェーデンは同君連合を解消したが、両国分離後も授与機関は変更されなかった[9]。
ノーベル賞が設立された理由
これが、昔放送されていたトリビアの泉で伝えられていました。
トリビアの泉の内容を要約すると
・ノーベル賞が設立されたのは、ノーベルが若い女に騙されたことがきっかけ
・ゾフィー・ヘスという若い女に騙された
・ノーベルの遺言執行人の1人、ソールマンが書いた「アルフレッド・ノーベルの遺産 ノーベル賞の背後の物語」に書かれている
・1876年当時43歳のノーベルはオーストリア・ウィーンで20歳のゾフィー・ヘスに会って、その美しさの虜になった
・当時ノーベルが23歳も年下の庶民の娘と付き合えば、世間から白い目でみられるのは明らか
・ノーベルはゾフィーを自宅にこっそり呼び寄せ上流階級の知性と教養を教えた
・ゾフィーは贅沢な生活を覚えてしまいどんどんわがままな女性になっていった
・ノーベルは世間に知られないよう15年間もそのままの生活を続けた
・ゾフィーはノーベルが旅で不在の間に、複数の男と浮気し子供まで作った
・さすがのノーベルもゾフィーの妊娠を知り、別れる決心をした
・ゾフィーは2人の交際の事実を公表すると、これまでのノーベルとの生活を書いた日記をネタに、ノーベルを脅迫し、延々と大金をもらい続けた
・ゾフィーとの関係を反省したノーベルは財産を有意義に使うべく1985年にノーベル賞設立の遺言を書き他界
・その後、この遺言をもとに1901年にノーベル賞が設立された
ちなみにその後・・
・ノーベルの死後、ゾフィーはノーベルからもらった216通のラブレターと写真を遺言執行人に法外な値段で売りつけ巨万の富を得た
ゾフィーが15年間に勝手気ままに使ったお金の額は、現在のお金で225億円以上
買い与えたパリの家、2億3千万円
別れたあとも日記をネタにゆすり、1年間に15億円、ノーベルが5年後に亡くなるまでに約75億円
ノーベルがゾフィーに払った額の合計は、約302億円以上
さらにノーベルが死んだあとも遺言にもとづき、毎年15億円をもらっていた
なるほど・・
まあ、この女性が本当にノーベル賞の設立のきっかけになったかどうかはわかりませんが(^o^;
ただ、確実に、ノーベルの人生に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう(笑)
まあ、これだけのお金を支払ってもびくともしないほどの金持ちだったので
「金を払わされて困る」という感覚はなかったかもしれませんが・・(笑)
俺はなんて女を囲ってしまったんだ・・という後悔はあったでしょうねぇ・・
金を払うのはいいにしても、ゆすってくるなんて・・
女の人をみる目はなかったってことでしょうね・・
でも、ノーベル賞を設立したことは
かなり成功してますよね、自分の名前を良い方向で有名にすることには。
もしこれがなかったら
死の科学者で、女に大金を貢いだ男
でしかなかったわけで(笑)
だから、
「死の科学者」と言われることも「女に大金を貢いだダメな男」というのも
両方ともノーベル賞の設立の理由には、なってる気がします。
ノーベル賞を受賞された方には
それなりの社会的地位と、あとはビジネス的にも成功する可能性があって
お金も手に入れられるでしょうから
こういうノーベルの反面教師的なことについては
受賞時に説教されたりするんですかね(笑)
大きなお世話ですけどね(笑)