船橋や浦安の
「三番瀬」って知ってますか??
場所はこちらです↓
東京湾の奥、浦安の埋立地の東側部分です。
浦安、市川、習志野、船橋の海側に辺ります。
ここは毎年春の時期になると、潮干狩りで賑わうゾーンです。
2018年 #ふなばし三番瀬海浜公園 の #潮干狩り 潮見表、駐車場、無料、前売り券、ホンビノス、マテ貝 - ひなぴし
干潟としては、東京湾の奥では最大の面積なんだそうです。
三番瀬の読み方とは?
この「三番瀬」ですが、よく知らない人はみんな「さんばんせ」と読んでしまうと思います。「せ(SE)」ぼくもそうでした(^_^;)
でも、実はこちらは「さんばんぜ」と読むのが正しいそうです。「ぜ(ZE)」地元では昔から「さんばんぜ」と呼ばれてきたとか。
船橋に公園があるのですが
「ふなばし三番瀬海浜公園」
こちらも読み方は「ふなばしさんばんぜかいひんこうえん」なんだそうです。
三番瀬の由来
三番瀬とはどういう意味なのか?
「三番」っていうぐらいだから、「一番」とか「二番」もあるんじゃないの?と思うのですが、少なくとも今はそういう名前の海は無いみたいで。
三番瀬のことは各市や施設が由来や名前のことを公開してくれていました。
船橋市
http://www.city.funabashi.lg.jp/kids/knows/0008/p010336_d/fil/sanbansesyoukai.pdf
1. 三番瀬(さんばんぜ)とは
① どこにあるの
三番瀬再生計画検討会議において、下の点線で囲まれた東京湾の 最奥部 の 干潟・浅海域(水深5m未満)約 1600ヘクタールを「三番瀬」ということとしました。(出典 千葉県)
② 名前の由来
三番瀬は江戸湾の漁場である船橋浦の一部で、この海域の最沖部の瀬を「字三番瀬」と呼んでいました。右の図は、大正時代(約80年前)のものです。他にも「字西浦」
「字高瀬」がありましたが、今では埋め立てられ、地名で残っています。
江戸時代の古文書に、「二番瀬」「三番瀬」の文字がありましたが、「二番瀬」の位置や「一番瀬」があったかどうかは不明です。
③ 変化した三番瀬
昭和20年代から埋め立てが始まり、干潟がなくなってきました。
また、昔の三番瀬は干潟が多くを占めていましたが、昭和30年代からの地盤沈下により約 1m沈下し、干潮時でも海の中の部分(浅海域)が多くなりました。
なお、船橋海浜公園潮干狩り場は、船橋分岐航路を埋め戻した人工干潟です。
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・三番瀬再生計画検討会議で今の「三番瀬」の範囲が決められた
・・たしかに、今も地図をみると「高瀬」の地名は残っているようです。
・地盤沈下で干潟の範囲は狭くなった
市川市
「三番瀬」とは、古くから漁業関係者が使用していた漁場の通称名で、現在の市川市・船橋市の沖合いの浅瀬の一部を示していたものと思われます。現在では、市川市と船橋市の沖に広がる浅海域(浅瀬や干潟)を総称して「三番瀬」と呼ぶのが一般的になってきています。
この海域は、東京湾の最奥部の埋立地によって囲まれた位置にあり、水深5メートル以下の浅瀬が岸から沖合い3~4キロメートルの範囲に広がっていて、その先は急に水深が深くなっています。この浅瀬は、市川航路を境に大きく市川市側と船橋市側とに分かれ、その面積は、水深1メートル以浅の範囲で約1,200ヘクタール、水深5メートル以浅の範囲で約1,600ヘクタールあります。
三番瀬というと、船橋市側の船橋海浜公園地先に広がる干潟の風景がテレビや新聞でよく取り上げられることから、一面に広がる干潟を連想されることがありますが、市川市側の三番瀬には、主な干潟として、塩浜1丁目地先の人工干潟と浦安市の日の出地区に近い自然の干潟が合計で約30ヘクタールほどあるだけで、そのほどんどは水深5メートル以下の浅瀬となっています。
明治13年当時の海岸線の図
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東京ディズニーリゾートができる前の、埋め立てられる前の浦安の地図が載ってますね。
おそらく、この浦安の埋め立てが行われる前は、この現在の埋め立て部分も三番瀬の一部、干潟だったものと思われます。
そこで、浦安の漁師さんたちは魚や貝を採っていたんですかね?
ふなばし三番瀬海浜公園
正しくは「さんばんぜ」と読みます。
三番瀬は東京湾の最奥部に位置し、船橋市をはじめ、習志野市、市川市、浦安市、各市の東京湾沿いに広がる約1,800haの干潟・浅海域です。深いところでも干潮時の水深が5mほどの浅瀬で、日々繰り返される干満により、土の中に酸素が供給され、多くの生きものを育てています。
江戸時代初期には、「御菜浦(おさいのうら)」として、新鮮な魚介を将軍家に納める重要な役割を果たしていました。
三番瀬とは
「三番瀬」は、浦安市・市川市・船橋市・習志野市の四市に三方を囲まれた約1,800ha(東京ドーム約380個分)の干潟と浅海域で、もとは江戸川など利根川水系からの土砂が堆積してできた前浜干潟の一部でした。ただし、海浜公園の前面、東側突堤から西側突堤に囲まれた部分40haは、昭和52年の埋立て工事でできた人工干潟となっています。この部分は、潮の満引きにより、干潮時には砂地が現れたり、満潮時には海水に覆われたりしますので、一年を通して、大人から子供まで安全に海と親しめる場所となっています。
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魚介類が豊富に採れた三番瀬は「御菜浦(おさいのうら)」として、江戸幕府・将軍家に魚介を納める役割を果たしていたとか。
浦安市
東京湾の最奥部にある三番瀬は、江戸川などから土砂や 栄養分を含んだ淡水が流れ込み、広い干潟や浅い海域が作られ、そこには多くの生き物が生息していました。 しかし、戦後の大規模な埋立てや都市化によって三番瀬と周りの環境は変わり、海域の面積が減少するほかに、 生態系の変化や水質汚濁を招くこととなりました。
浦安市、市川市、船橋市、習志野市に面している現在の三番瀬は、昔のような広さの干潟と浅い海域はありませんが、 その広さは約1800ヘクタールあり、この中の浅い海域では、魚介類の産卵場などとして機能しています。 この残された自然を次の世代へと引き継ぐために、市では三番瀬を保全する市民活動への支援などを行っています。
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三番瀬の歴史や、浦安の埋立地がうめられる前の海の様子や地図について
こちらの千葉県の資料でもいろいろみられます↓
https://www.pref.chiba.lg.jp/kansei/sanbanze/keii/documents/101rekishi.pdf
一応こちらにコピーも貼っておきます
「三番瀬」は、昔から漁師さんがこの場所をそう呼んでいたことから今もそう呼ばれているということなんですが、きっと高瀬、二番瀬、三番瀬のように順番に呼ばれていた海域があったんだろうなと推測できそうですね。
今となっては1番2番がなく3番なのでちょっと不思議ですけどね(^_^;)
ふなばし三番瀬海浜公園あたりの沖のほうでは現在も漁師さんの漁業権が設定されていて漁が行われているようですが、浦安市の漁師さんたちは漁業権を放棄していてすでに魚や貝は採られていないようです。
三番瀬全体を埋め立てる計画が過去にあったそうですが
千葉県知事によって撤回されたんだとか(過去の知事。現在の知事もその方針を受け継いでいるそうです)
渡り鳥がいたり、たくさんの生き物のオアシスとなっている干潟なので
自然環境を守るためにも、三番瀬は壊さずにそのまま残してほしいな、という気がします。
まあ・・これからの時代は、新しい建物や施設をボンボン作る時代でもないですからね・・
新たに埋め立てすることは必要ないんじゃないかなと。。
潮干狩りの準備はここをみて↓