ひなぴし ドラマ考察

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#光る君へ ネタバレあらすじ 1018年登場人物の年齢を確認!2024年11月17日放送 第44回 ドラマ考察感想 第44話

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こんにちは。#トケル と言います。
歴史の専門家ではないので、「ドラマ」としての感想や今後の予想をお話ししたいです◎


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光る君へ
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NHK 2024大河ドラマ 日曜20:00
「光る君へ」(紫式部)

 

出演者・キャスト一覧

 

まひろ(紫式部)吉高 由里子
藤原 道長 柄本 佑
源 倫子 黒木 華
藤原 道隆 井浦 新
藤原 詮子 吉田 羊
藤原 定子 高畑 充希
藤原 公任 町田 啓太
藤原 道兼 玉置 玲央
高階 貴子 板谷 由夏
ききょう(清少納言) ファーストサマーウイカ
藤原 惟規 高杉 真宙
藤原 実資 秋山 竜次
藤原 伊周 三浦 翔平
藤原 行成 渡辺 大知
花山天皇 本郷 奏多
安倍 晴明 ユースケ・サンタマリア
藤原 宣孝 佐々木 蔵之介
藤原 為時 岸谷 五朗
藤原 兼家 段田 安則

 


スタッフ

 

脚本
大石静

 

演出
中島由貴
佐々木善春
中泉慧
黛りんたろう ほか

 

ナレーター
伊東敏恵

 

音楽
冬野ユミ

 

制作統括
内田ゆき
松園武大

 

プロデューサー
大越大士
高橋優香子

 

製作
NHK

 

 

 

2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」

 

3050

 

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前回の放送は1014年でした。

次回、11月17日放送の第44回は、その翌年の1015年から、さらに3年後の、1018年まで描かれる見込みです。

道長が「望月の歌」を詠むのが1018年なんですね。

1018年頃の登場人物の年齢と、人物について確認していきたいと思います。

読み上げませんが、( )書きで、その人がなくなった年齢も記載しますので、参考にご覧ください。

なお、年齢はあくまで概算ですので、ご了承くださいね。

 

大河ドラマ「光る君へ」

 

まずは、「後一条天皇」です。

三条天皇が退位して、新たに天皇になられる方ですね。

父親は一条天皇で、母親は道長の娘・彰子で、一条天皇にとっては「第2皇子」にあたります。

一条天皇にはもうひとりの妻・定子との間に、第一皇子・敦康親王がいて

敦康親王が東宮となるところ・・道長の働きかけで、敦成親王(あつひら)が東宮となりました。

生まれたのが1008年で、即位するのは1016年ですので、わずか8歳で即位することになりました。

子どもの天皇の場合は実質的に政務をとりしきる「摂政」が置かれることになり、

その摂政には道長が就任します。

ただ、道長は1017年には息子の頼通へ、摂政の地位を譲ります。

一線を退くのですが、影響力は持ち続けるようです

後一条天皇は1036年まで生きるので・・28歳でなくなることになります。

子供に皇子はいませんでした。

後一条天皇の次の天皇は、同じく一条天皇と彰子の間に生まれた、弟である敦良親王が即位されます。

 

そして敦良親王(あつなが)です。

後一条天皇の皇太子は、三条天皇の子である敦明親王だったのですが

敦明親王が皇太子を辞退したため、敦良親王が皇太子になります。

そして1036年に「後朱雀天皇」として即位されます。

敦良親王は1009年に生まれ、1045年、36歳ぐらいでなくなることになります。

その後は子である、親仁親王(ちかひと)が、「後冷泉天皇」として即位されます。

後冷泉天皇の母、後朱雀天皇の妻は、道長の六女である藤原 嬉子(よしこ)ですが・・

後朱雀天皇の母は道長の娘である彰子ですので、

結婚した藤原 嬉子は叔母にあたります。

ただ、夫婦仲は悪くなかったようです。

また、道長の娘・妍子(きよこ)と三条天皇の間に生まれた禎子内親王も、後朱雀天皇に入内しますが、母親が姉妹のため、こちらは従兄弟同士での結婚でした。

後朱雀天皇の時代は道長の息子、頼通が関白で居つづけたそうです。

頼通は、後一条天皇、後朱雀天皇、後冷泉天皇の三朝にわたって摂政・関白で居続け、道長の時代からの藤原氏全盛期を築きました。

 

藤原威子(たけこ)です。

道長と倫子の四女で、後一条天皇の后になる人です。

威子は1000年に生まれ、1018年に入内しますが、その時後一条天皇よりも9歳年上だったそうです。

後一条天皇は姉・彰子の子であるため、こちらも甥と叔母の関係ですね。

威子が後一条天皇の中宮となったことで、

前代である三条天皇の中宮であった妍子(きよこ)、

そして、さらにその前である一条天皇の中宮であった彰子の3人が

天皇の后の位・3つ、皇后・皇太后・太皇太后を独占する状況になり

そしてそれを祝う会で道長は、有名な「望月の歌」をうたったと言われています。

威子は後一条天皇と同じ年、1036年に36歳くらいでなくなります。

 

さきほども話がでましたが、

道長と倫子の間の六女である藤原嬉子(ふじわらのよしこ)です。

嬉子は1007年に生まれ、1025年になくなるので、わずか18歳でなくなる人です。

姉・彰子の子である敦良親王に入内して、のちの後冷泉天皇である親仁親王(ちかひと)を産みますが、そのわずか2日後になくなったそうです。

この頃まだ夫・敦良親王は東宮で天皇ではありませんでしたが・・

さきほどもお話ししたとおり、敦良親王はのちに後朱雀天皇になります。

嬉子は道長の娘姉妹の中で最も早くに亡くなったそうです。

入内した道長一族の娘たちの中で、嬉子の産んだ後冷泉天皇が結果的に最後の皇子になったとのこと。

その後冷泉天皇にもついに世継ぎができなかったことで・・

嬉子がなくなったことが摂関家の斜陽の始まりだったと言われているそうです。

 

ここからはレギュラーメンバーの、1018年時点のおおよその年齢です。

まずは四納言から。

藤原斉信・52歳(68歳)

藤原公任・53歳(75歳)

源俊賢 ・58歳(67歳)

藤原行成・46歳(56歳)

行成はのちに、隆家の後任として大宰権帥になるようですが、一度も九州へ行かないまま、この職を去ることになるようです。

ここは描かれるのか注目したいところですね。

 

道長の家族の1018年時点の年齢です。

道長   52歳(62歳)

彰子   30歳(86歳)

倫子   54歳(89歳)

明子   53歳(84歳)

頼通   26歳(82歳)

教通   22歳(79歳)

道長は1019年には出家するようです。

 

 

まひろの家族の1018年時点の年齢です。

まひろ  48歳(57歳?)

賢子   19歳(80歳以上?)

藤原為時 69歳(80歳)

紫式部は「1014年になくなった」とする説もあるようですが、このドラマでは、道長のなくなる1027年までは生きているのではないかと思っています。

 

そして、朝廷の人たちの1018年時点の年齢です。

藤原実資・61歳(89歳)

藤原道綱・63歳(65歳)

藤原隆家・40歳(65歳)

隆家は1014年頃から太宰府へ行き・・

九州では善政を行っていたとのことで、それによって地元の勢力はみんな隆家に従うようになったそうです。

そして、1019年に刀伊の入寇が発生します。

「日本を守る活躍をする」と僕は紹介していますが、隆家の活躍がなければ九州はもっと酷い状況になったのではないかと思います。

京にいる貴族たちは九州の被害を自分たちの被害だと思っていなかったかもしれないですが

僕は「九州の被害を食い止めた」ことは「日本を守った」ことになると思っています。

刀伊の入寇については、これから詳しく描かれることになると思います。

 

というところで今回の考察は終了です。

感想やご自身の予想など、コメントをお待ちしています。

 

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