↑この記事の内容はこちらの動画でご覧ください
#吉高由里子 #NHK #大河ドラマ #光る君へ
#柄本佑 #黒木華 #井浦新 #吉田羊 #玉置玲央 #野村麻純 #佐々木蔵之介 #岸谷五朗 #段田安則 #松下洸平 #毎熊克哉
こんにちは。#トケル と言います。
歴史の専門家ではないので、「ドラマ」としての感想や今後の予想をお話ししたいです◎
■再生リスト(過去の関連動画をご覧いただけます)
光る君へ
https://www.youtube.com/playlist?list=PLkU9O6QN85xd8tY5BSSG2PowQpvNKgiBP
NHK 2024大河ドラマ 日曜20:00
「光る君へ」(紫式部)
出演者・キャスト一覧
まひろ(紫式部)吉高 由里子
藤原 道長 柄本 佑
源 倫子 黒木 華
藤原 道隆 井浦 新
藤原 詮子 吉田 羊
藤原 定子 高畑 充希
藤原 公任 町田 啓太
藤原 道兼 玉置 玲央
高階 貴子 板谷 由夏
ききょう(清少納言) ファーストサマーウイカ
藤原 惟規 高杉 真宙
藤原 実資 秋山 竜次
藤原 伊周 三浦 翔平
藤原 行成 渡辺 大知
花山天皇 本郷 奏多
安倍 晴明 ユースケ・サンタマリア
藤原 宣孝 佐々木 蔵之介
藤原 為時 岸谷 五朗
藤原 兼家 段田 安則
スタッフ
脚本
大石静
演出
中島由貴
佐々木善春
中泉慧
黛りんたろう ほか
ナレーター
伊東敏恵
音楽
冬野ユミ
制作統括
内田ゆき
松園武大
プロデューサー
大越大士
高橋優香子
製作
NHK
他
2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」
3050
ーーー
❉こちらに掲載の内容を使用して他者がコンテンツを作成されている場合、私から申し出を行い、動画の削除が行われ、またチャンネルアカウントが停止されます❉
第44話では、藤原道長の有名な歌、「望月の歌」が登場します。
そしておそらくですが、この歌がきっかけで、道長の妻・倫子は、まひろと道長の関係について「不倫だ」と確信する展開があるのではないかと思っています。
その点の話をさせていただこうと思います。
まずは第44話のおおまかなあらすじをお話しし、そのあとに「望月の歌」に関わって不倫に気づく・・という流れをお話しできればと思います。
第44話のラストで「望月の歌」が詠まれることになりそうですので
最後にお話ししますね。
かなり詳しくお話ししたつもりですので、ぜひ最後までご覧くださいね。
この第44回は、ここ何回かの中でも、道長とまひろが一緒になるシーンが多くなりそうな予感です。
大河ドラマ「光る君へ」
1015年、道長から「譲位」を迫られている三条天皇はずっとそれを拒み続けていました。
そして三条天皇はなんとか天皇で居続けるために、自分の娘を、道長の子・頼通へ嫁がせたいと言ってきます。
頼通はそれを拒絶します。
「それが命令であれば、私は妻である隆姫を連れて都を出ます。
藤原も、左大臣の子であることも捨てて、隆姫と2人で生きていきます」
道長はかつて、まひろへ、藤原の家を捨てて遠くの国で生きようと告げたことがあり・・それを思い出しました。
倫子も・・何か思ったかもしれないですね・・
もし道長が本当に好きなのがまひろだとすでに気づいているのなら、この頼通の言葉を聞いて、どう思ったのか。
ある意味では、結果的に家を出ていかなかった道長は「まひろではなく家を選んだのだ」と倫子は思えたのかもしれないですね。
三条天皇は、もはや天皇としての権限を手放してでも、天皇の位にしがみつこうと
道長へ左大臣のまま、准摂政になるよう促します。
摂政とは幼い天皇や女性天皇に代行して政務を行う官職ですが、准摂政は天皇が病気などのために権限として与えられるもののようです。
道長を准摂政に任じれば、三条天皇としては自分を天皇の位から引きずりおろす理由がなくなると考えたのでしょう。
三条天皇の妻で娘・禎子(よしこ)を産んだ妍子(きよこ)。
酒におぼれて贅沢三昧の日々を送っていました。
道長の意のままに年の離れた帝に入内しましたが皇子を産めず・・おそらく期待はずれという雰囲気を感じているのだと思います。
道長は妍子(きよこ)へ、娘の禎子(よしこ)はいずれ敦良親王(あつなが)の后にすると告げました。
敦良親王は妍子の姉である、彰子と一条天皇の間の2番目の皇子ですね。
三条天皇から言われていた、三条天皇の娘と道長の子・頼通の縁談について
三条天皇にあきらめさせるため、道長は
「頼通は怨霊によって重病におかされている」という噂を流しました。
三条天皇はこの噂を聞き、あきらめることになります。
他になんとか天皇で居続ける方法はないのか・・と実資へ相談しますが、実資は「条件を付けて、譲位したらどうか」と提案します。
彰子の子・敦成親王(あつひら)が次の天皇ですが、その次の天皇である「東宮」に、
敦明親王を立てることを条件とする。
そうでなければ譲位しない。
敦明親王は三条天皇の息子です。
これに三条天皇は同意します。
実資は・・道長を裏切っているようにも見えますが、これはどうなんでしょうか。
もしかしたら、その後の敦明親王の扱いまで道長と相談したうえで
三条天皇をやめさせるためにこのような提案を行ったのではないか・・という想像もできますね。
そして・・三条天皇は実資の助言に従って、敦明親王を次の東宮とすることを条件に、譲位を承諾します。
でも、敦明の世話をする東宮大夫は見つからないようです。
彰子の子・敦成親王(あつひら)は9歳で即位することになりました。
後一条天皇です。
道長は摂政になります。
道長はまひろの局を訪ねます。
用はなくてもまひろに会いたい・・まひろから言い咎められることがあったとしても
まひろと話していると安堵する・・不思議だな
と道長は言って去っていくようです。
道長とまひろは「ソウルメイト」魂がつながる関係、であるからこその安らぎなんでしょうね。
まひろはこのシーンでは、三条天皇を譲位に追い込んだ道長にちょっと嫌味な事を言うようです。
1016年、倫子の母・むつこが86歳でなくなります。
むつこの血を引く者は長生きが多く、、娘である倫子、孫である彰子、頼通、教通。
この時代で86歳まで生きているのはすごいですよね。
そしてむつこは夫が左大臣になった源雅信、
娘婿の道長は摂政、ひ孫である敦成親王が天皇に・・ということですごい人生を送った人でした。
まひろの父・為時は寺にこそ入らないが、出家して、
妻・ちやは、息子・惟規(のぶのり)の菩提を弔いながら余生を生きていくことにします。
おそらくですが・・このあと為時は、まひろよりも長く生きることになりそうです。
摂政と左大臣を道長は兼務していましたが
それではさすがに道長に権力が集中しすぎるため、左大臣はやめるべきだと公任から助言を受けました。
道長はその後・・左大臣と摂政の両方をやめることを考え、まひろへそれを伝えます。
これは・・「一線を退く」ことを意味するので、まひろに「民を思う政治を成し遂げる」ができなかったと伝えることになっているのかなと思います。
道長には、左大臣をやめても摂政として天皇の代わりにあらゆることを決めていくこともできるはずですが、その摂政も頼通へ譲るようです。
「頼通様へあなたの思いは伝わっていますか?」
とまひろは聞きますが、道長は伝えていないようです。
「1人で成せなかったことも時を経ることでなせるかもしれません。
私はそれを念じます」
まひろだけは念じていてくれ・・道長はそう伝えて去っていきました。
1017年
頼通は道長にかわり、後一条天皇の摂政に。内大臣と兼務します。
左大臣は藤原顕光、右大臣は藤原公季です。
頼通は妹の威子(たけこ)へ後一条天皇に入内してほしいと頼みます。
威子は19歳、後一条天皇は10歳でかなり年齢差があるので嫌がりますが・・結果的には入内することになります。
ここにも道長が関わってそうですよね・・
そして三条天皇がこの世を去ります。
すでに後一条天皇の東宮となっていた三条天皇の息子・敦明親王でしたが
後ろだてがないことに不安を覚え、自ら申し出て、東宮をおりることになりました。
・・結果的に東宮からおりる、ということになることを考えたら
やはり、三条天皇と約束した時点からこうなることがわかっていたようにも思えます。
なので、実資がそもそも道長とつながっていた・・というふうに思えますが・・どうでしょうか。
敦明親王が東宮をおりると決定するのも、きっと誰かが色々吹き込んだ結果でしょうね。
そして・・いよいよ、道長が「望月の歌」を詠む時がやってきます。
1018年、道長の四女である威子(たけこ)が後一条天皇の中宮となり
三条天皇の中宮だった妍子が皇太后、一条天皇の中宮だった彰子が太皇太后になって
3つの后の地位を道長の3人の娘が占めました。
土御門殿では、威子が中宮になったことを祝う宴が催されます。
「今日の良き日を迎えることができ、これに勝る喜びはない。心より礼を言う」
と言った道長に対し、
威子は何も言えず、
妍子は「父上と兄上以外、誰もめでたいとは思っていません」と言います。
彰子だけは「頼通が、良い政をおこなえるよう願っている」と言いました。
彰子は他の道長の娘たちとは違い、道長に近い感覚を持っているように思いますね。
もしかしたら、まひろと道長の「民を思う心」についても、一条天皇が同じように考えていたこともあり、頼通ではなく彰子が受け継いだ・・のかもしれないですね。
宴には、公卿たちだけでなく、まひろや倫子も集まっています。
そこで道長は歌を詠みます。
「このよをば わがよとぞおもふ もちづきの かけたることも なしと思へば」
これは有名な「望月の歌」ですね。
この歌については藤原氏最高の栄華を極めた道長が、自分の絶頂を称えた歌・・「この世は全て自分のものだ」といった意味で歌った、としてよく知られていますが、実はそうではない解釈もあるそうです。
「このよ」を「この世の中」ではなく、「この夜・今夜」の意味でとらえ、
「もちづき」は「天下」というような意味ではなく、娘3人が后の地位3つを独占したことを表している。
その解釈でいくとこの歌の意味は
「今夜は本当にいい夜だ 后となった娘たちは満月のように欠けていない」
そういう意味になりそうで、これはこの日、この時の状況と
道長の素直な気持ちを歌った歌、ということになりそうです。
道長は実資に返歌を求めますが、実資はあまりに優美な歌で返歌は詠めないと言って
みんなでこの歌を唱和しようと呼びかけることになります。
実資がこのような行動をとったのは、これから息子である頼通のことを支えてほしいという道長の気持ちを感じ取ったからなのかもしれないですね。
さて、、この「望月の歌」ですが、実は元ネタがあると言われているんです。。
それがこのシーンとつながっているのではと思われますが、覚えていらっしゃいますでしょうか。
第36回の放送、彰子が一条天皇との間の一人目の皇子である敦成親王(あつひら)を産んだあとです。
敦成親王は今回、後一条天皇になられた方ですね。
ここでまひろが詠んだ歌は次のようなものでした。
「めづらしき 光さしそふさかづきは もちながらこそ千代もめぐらめ」
その意味をまひろはこう説明していました。
「中宮様という月の光に、皇子(みこ)様という新しい光が加わったさかづきは、
今宵の望月の素晴らしさそのままに、千代も巡り続けるでありましょう」
そしてそれを聞いた道長は「良い歌だ。覚えておこう」と言っていました。
覚えておこう・・そうなんです、おそらく道長が詠んだ「望月の歌」は、
このまひろが詠んだ歌を元に考えられた歌、と考えられるんですね・・
道長は他人の歌の技巧をまねするのが得意だったそうで、和歌の世界ではそれは良いこととされています。
2つの歌の共通点は
「月」に娘たち天皇の后たちをたとえているところ、
「望月」という表現が使われているところ、他にも色々感じられます。
というところから、道長の詠んだ「望月の歌」は間違いなく、
まひろが詠んだ歌に「重ねられた」ものと思われます。
歌を重ねる・・ということで思い出されることがあります。
それは、以前にも道長とまひろの歌が「重ねられた」シーンがあったことです。
そしてそのシーンは、なんとさきほどの、まひろが道長の「望月の歌」の元ネタとなった歌をうたったのと同じ放送回で描かれていました。
第36回です。
敦成親王が生まれて50日目を祝う「五十の儀」(いかのぎ)
この席でまひろは歌を詠むように指示され、素敵な歌をうたいます。
すぐさま詠んだため、周囲からは「用意してあったのよ」と言われていました。
そしてそのあとすぐに道長が、まひろの詠んだ歌に呼応する、「重ねられた」歌を詠んでいました。
あまりに見事に重なっているので「あうんの呼吸で、歌を交わせるなんて・・」と周囲の女性たちから疑われ、そして倫子も明らかに不審な表情を浮かべ・・
赤染衛門はもはや、まひろと道長の関係を確信するかのような目で2人を見ていました。
そして、倫子はこの席を立っていきました。
このシーンは・・確実に、倫子が道長とまひろの関係を疑った・・もしくは確信したシーンだったかと思います。
これが、まひろが道長の「望月の歌」の元ネタの歌を詠んだのと同じ放送回で描かれていたんですね・・
そして、赤染衛門はまひろに、倫子様を傷つけないでほしい、と言っていました。
倫子はこのあとすぐに、娘の彰子から「まひろの書いた源氏の物語を冊子として帝へ献上したい」と言われますが、
道長とまひろの関係を疑っているにもかかわらず、「帝もおよろこびになられましょう」と賛成していました。
ここは・・倫子のスタンスが現れている気がしますね・・
仮に道長とまひろが「そういう」関係だったとしても、それに倫子は踏み込まない。
そして、赤染衛門が「倫子様を傷つけないで」と言っていましたが
さきほどの歌を合わせたシーンも、道長が急に、まひろの歌に合わせただけで
まひろの方が悪いわけではありません。
まひろ自身が「道長の女である」とアピールしないことも、倫子が心をなんとか保てた理由かもしれません。
それを思うと、、すぐバラしちゃう道長は、本当に何も考えてない気がしますね・・(笑)
話を「望月の歌」のシーンに戻しますが、ここで道長が詠んだ歌を聞いて
倫子はまた、確実にまひろとの関係を思い出したと思います。
ドラマ上では、まひろが「望月の歌」の元ネタをうたったのを聞いていたのは道長だけでしたが
実はこのうたは、「紫式部日記」にも書かれていたものでした。
「紫式部日記」に歌が残っています。
彰子の女房であるまひろが書いた日記は、彰子の出産記録を兼ねたものであったため
これはおそらく倫子も読んでいたと考えられます。
そのため・・道長が詠んだ歌を聞いて、倫子はまっさきにまひろの顔が浮かんだことでしょう。
さきほどご紹介した「五十の儀」で歌を合わせていたこともありますからね・・。
「望月の歌」が詠まれたこの席にはまひろもいますから、倫子はまひろの方を見たかもしれません。
まひろも「自分の歌に重ねてる」と気づいたはずですから、そういう表情をしている・・
倫子はもはや、「疑い」ではなく、「確信」になっていることでしょう。
でも、それを倫子は追及しない・・
倫子がまひろと道長の真実を本人たちから聞くことになるのは
最終回のことになりそうです。
最終回では、倫子がまひろに直接問い質すシーンが描かれるようです。
というところで今回の考察は終了です。
感想やご自身の予想など、コメントをお待ちしています。
--
チャンネル登録せずにご覧いただいている方は
この動画を見つけやすくなりますので、ぜひチャンネル登録して次の動画をお待ちください。
ここまで楽しんで頂けた方はいいねボタンを押していただけると大変うれしいです。