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どうする家康 ネタバレ考察大河ドラマ最新感想 ねねは家康の味方!?ねねは何をしていたのか?第42回2023年11月5日放送解説

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2023年 NHK大河ドラマ

「どうする家康」感想・考察

 

■出演者

役名 ー 俳優名・女優名

 

松平元康(まつだいら もとやす)

徳川家康
演:松本潤

瀬名(せな)
演:有村架純

於大の方(おだいのかた)
演:松嶋菜々子

酒井忠次(さかい ただつぐ)
演:大森南朋

石川数正(いしかわ かずまさ)
演:松重豊


鳥居忠吉(とりい ただよし)
演:イッセー尾形


鳥居元忠(とりい もとただ)
演:音尾琢真


大久保忠世(おおくぼ ただよ)
演:小手伸也


平岩親吉(ひらいわ ちかよし)
演:岡部大


夏目広次(なつめ ひろつぐ)
演:甲本雅裕


本多忠真(ほんだ ただざね)
演:波岡一喜


本多忠勝(ほんだ ただかつ)
演:山田裕貴


榊原康政(さかきばら やすまさ)
演:杉野遥亮

今川義元(いまがわ よしもと)
演:野村萬斎


今川氏真(いまがわ うじざね)
演:溝端淳平

関口氏純(せきぐち うじずみ)
演:渡部篤郎

巴(ともえ)
演:真矢ミキ

武田信玄(たけだ しんげん)
演:阿部寛


飯富昌景(おぶ まさかげ)
演:橋本さとし


織田信長(おだ のぶなが)
演:岡田准一


明智光秀(あけち みつひで)
演:酒向芳


足利義昭(あしかが よしあき)
演:古田新太


穴山梅雪 / 信君(あなやま ばいせつ / のぶただ)
演:田辺誠一


井伊直政(いい なおまさ)
演:板垣李光人


糸(いと)
演:志田未来


於愛の方(おあいのかた)
演:広瀬アリス


お市(おいち)
演:北川景子


大鼠(おおねずみ)
演:千葉哲也


おふう
演:天翔愛


お万(おまん)
演:松井玲奈


お葉(およう)
演:北香那


おりん
演:天翔天音


女大鼠(おんなおおねずみ)
演:松本まりか


亀姫(かめひめ)
演:當真あみ


空誓上人(くうせいしょうにん)
演:市川右團次


五徳(ごとく)
演:久保史緒里


佐久間信盛(さくま のぶもり)
演:立川談春


柴田勝家(しばた かついえ)
演:吉原光夫


武田勝頼(たけだ かつより)
演:眞栄田郷敦


茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)
演:中村勘九郎


千代(ちよ)
演:古川琴音


徳川信康(とくがわ のぶやす)
演:細田佳央太


豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)
演:ムロツヨシ


服部半蔵 / 正成(はっとり はんぞう / まさしげ)
演:山田孝之


久松長家(ひさまつ ながいえ)
演:リリー・フランキー


本多正信(ほんだ まさのぶ)
演:松山ケンイチ


水野信元(みずの のぶもと)
演:寺島進

 

 


■スタッフ

ナレーター 

寺島しのぶ

 

脚本    

古沢良太


演出    

村橋直樹
川上剛
小野見知

 

制作統括   

磯智明


プロデューサー   

村山峻平
川口俊介

 

制作

NHK

 

 

NHK大河ドラマ「どうする家康」

 

 

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今回は、豊臣秀吉の正室である北政所・ねねについて、家康とどういう関係であったのか、ということをお話ししていきたいと思います。

この動画の最後には・・・北政所がこのあとどんな人生を送るか、ということを知っていただくことができます。

このあとの内容が気になるという方は、ここで、いいねボタン 👍

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僕のチャンネルでは「史実で正しい」とされていることを紹介するというよりは「こういう話がある」をご紹介することにしていますので、情報の正確さを求められる方の視聴はおすすめしませんので、ご容赦くださいね。

家康が上杉討伐のため大坂を離れたあと、大坂に残っていたのが・・阿茶局でした。

そして石田三成が挙兵したので、いよいよ身が危ない!となったときに助けてくれたのが・・

 

北政所、ねねでしたよね。

北政所は、豊臣秀吉の正室です。

茶々・・淀君は側室で、北政所は正妻ということになりますね。

「内府どのから上方の留守をよろしく頼む、と任されておりましたでな」

ただ、ちょっと疑問に思った人もいたかもしれません。

三成は茶々や秀頼と一緒にいて兵を挙げているので、三成が豊臣側。

家康はその敵なのでは・・?と思ってしまいますが・・

 

そう単純な話でもないんですよね。

ドラマとして、茶々が三成を焚き付ける様が描かれていましたので、この大河ドラマの中では、三成が挙兵したきっかけになっていたのは茶々、ということになっていました。

ですので、やっぱり三成が豊臣側か・・?と思ってしまうのですが

でも実は茶々は、家康にも手紙を送っていて「三成があやしい行動をとっていて怖い」と言っているんですよね。

つまり、茶々は両方に良い顔をしていて、潰し合うことを願っていると思われます。

ということと、もしかしたら三成が負けてしまうかもしれない、という想いから

家康にも通じておく、ということなんでしょう。

 

この時の家康はどういう状況かというと、

前回に描かれていましたが、豊臣家の命令を受けて、上杉討伐に向かっていたんですよね。

つまり家康が大坂を離れたのはあくまで豊臣の命令を受けてのこと。

その豊臣家の作戦の途中で、三成が挙兵したんですよね。

 

北政所からすると、家康は豊臣家のために活動しているだけ、ということになるので、その妻が危険な目に遭いそうになっているのなら助ける・・どちらかというと、三成がよくないことをしている、という印象しかないと思います。

この北政所という人はかなり聡明な人と思われ、おそらく一歩引いた立場から「豊臣家はどうするべきか」を考えた人のようなんですよね。

どこまでが歴史の真実かは定かではないですが、ちょっとご紹介していくと・・

 

秀吉が亡くなった後、北政所は政治の表舞台から退くことになっていました。

でも、裏では家康と密かに手紙を交わし、時には政治的なアドバイスを行っていたという話もあるようです。

実は家康が天下を得ることの陰の功労者・・といってもおかしくないのかもしれません。

直接的に手伝ったわけではないかもしれないですが、影響を与えていた人の1人ではあると思います。

北政所は家康に助言を送ることで、亡き夫・秀吉の意志を継がせようとしたフシがあります。

 

秀吉が亡くなった後、豊臣家は徳川家康を始めとする他の有力大名たちによる圧力を受けるようになるんですよね。

秀吉の意志を継ぐというのは、秀吉が築き上げた秩序とか、家族の地位を保ちつつ、豊臣家が後世にわたって尊重されるよう努めることだと思います。

北政所は秀吉の死後も、その秀吉の意志を支え、家康との関係を通じて豊臣家の保護と、秀吉の政治的遺産を継承する役割を果たしていたようです。

秀吉の意志とは、彼の子供である秀頼の地位や将来を確実なものにすること、ということもあって、家康との手紙や交流を通じて、豊臣家の安定と秀吉の望んだ政治的秩序の維持に努めたみたいなんですよね。

 

ちなみに北政所は、家康の妻や娘たちとも親交があって、まるで女性版の「外交官」のように活動していた、という部分もあったようです。

家康としても、北政所のような豊臣家の重鎮と良好な関係を保つことは、政治的にもメリットが大きかったんですよね。

だから、北政所は家康にとっても重要な存在だったと思われます。

「たぬき」と呼ばれた家康からすれば、ぜがひでも自分の側につけておきたい人だった、というのもあるんでしょう。

 

関ヶ原の戦いのあとも、北政所は家康との関係を維持していて、豊臣家が保護されるよう努めていたそうです。

北政所としては、秀吉が亡くなったあとは、家康に従うことが豊臣家の存続につながると考えていたんでしょうね。

実際に、北政所は家康に味方するよう、彼女に養育された子飼いの大名たちに助言をしていたとも言われています。

どこまでが真実かはわからないですが、そういう話が現代に残るぐらいなので、徳川家に敵対していた人ではないことはたしかですよね。

北政所はこのあと、豊臣秀頼と家康の孫の千姫が結婚したのを見届けて髪を剃り落とし仏門に入りますが、その際に高台寺という寺をを建立していて、その時には家康から資金援助を受けていたと言われています。

 

ちなみに、このあと、豊臣家は滅亡することになってしまいますよね。

その時に、北政所がそれを止めることができなかったのか、という気もしてしまいますが・・

大坂の陣の際に、家康が北政所の動きを制限したという具体的なエピソードがあるようです。

家康は、「北政所を大坂に行かせるな」と命令して、北政所の甥である木下利房に命じて、彼女の動きを阻止したと言われています。

これは、豊臣家滅亡を目指す家康にとって、北政所が大坂にいることが影響力を及ぼす可能性があると見なされたためと考えられているそうです。

そのため、大坂の陣で豊臣家が最終的に滅亡するとき、北政所は直接介入することができなかったとされています。

 

北政所は大坂の陣が終わったあともまだ存命で、

なくなったのは1624年のことだったそうです。

関ヶ原の戦いから24年後のことですね・・

家康は大坂の陣が終わって比較的すぐになくなっているので、家康よりもさらに8年ぐらい長く生きています。

北政所を慕う豊臣恩顧の大名はたくさんいたと思いますので、

もし北政所が野心家だったら、徳川幕府を倒すことも夢ではなかったのかなという気がします。

ですが、おそらく北政所は・・夫である秀吉や、豊臣家をなんとか存続させることよりも「平和」を本当に願っていた人・・だったのかもしれないなと思いました。

 

 

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